舌読

職業柄、電子ブックを積極的に読んでいるブックデザイナーの桂川潤が面白いことを書いている。

 感想といえば……とにかく疲れる。ページ移動の基本はスクロールだ。指で繰らずにスイッチを使っても、ページはやはりスクロールされてしまう。これが数ページ続くだけでかなり参る。視力がガタ落ちになりそうだ。
 さらに困惑するのは、画面を縦にするか横にするかでページ当たりのテキスト量が変わるため「通しノンブル」が付けられない……つまり、ページネーションという概念が消失してしまったことだ。だから目次にもノンブルがない。瞬時にページ間を行き来できないから、テキストがなかなか身体に入らない。「商売敵(がたき)」という先入観も否定はできないが、いずれにせよ、速読を基本とするわたしには「物である本」の方がずっと読みやすい。

 装丁稼業のピンチのみならず、わたしは、電子ブックが「テキスト理解」を劣化させないか危惧している。直截な例だが、ディスプレイ上では文字校正ができない。確実な校正をするためには、どうしてもプリントアウトせざるを得ない。これは文字を扱う人々が異口同音に語っていることだ。テキスト理解の前提ともいうべき校正でさえ、モニタとハードコピーで差が出るとすれば、「物質性を欠いたテキスト理解」は、従来の読書とまったく異なるものになるはずだ。

 そんな思いを、朝日新聞出版が発行する広報誌『一冊の本』の巻頭エッセイ(6月号)に、「電子ブックと「書物としての身体」」というタイトルで綴った。これまでこのサイトで書いてきた電子ブックに関する論考の総まとめした内容で、関心のある方、PDFファイルをご覧ください。

 「書物としての身体」という概念は、今福龍太さんの『身体としての書物』に触発されて出てきたものだが、わたしは、「言葉が肉となった」というヨハネ福音書の冒頭と同時に、在日コリアンハンセン病回復者である歌人・金夏日(キム・ハイル)さんのことを思い浮かべていた。


トピックス2010年6月6日(桂川潤のweb site)


電子ブックにおける読書体験の無意識を構成するページネーションの消失という興味深い論点に深く絡み合うことを予想させる文脈で歌人金夏日(キム・ハイル)が登場して驚いた。金夏日と言えば、かつて徐京植が「国民」という根深い幻想に「ディアスポラ(離散民)」の現実を対峙させる文脈で喚び出した人物である。在日朝鮮人でありかつハンセン病で視力も指も失った金夏日は舌で点字を覚えた。舌で点字を読むことを「舌読(ぜつどく)」という。指読ですら想像を超える苦労だろうに、舌読である。想像を絶する。徐京植は金夏日について次のように書いた。

 金夏日さんは在日朝鮮人一世の歌人である。1926年に朝鮮半島慶尚南道で生まれ、先に渡日していた父をたずねて39年に日本に来た。菓子工場で働きながら夜学に通ったが、41年にハンセン病を発病して国立療養所に収容された。海軍軍属に召集された長兄は戦死している。解放後、家族親戚のうち、ある者は朝鮮に帰還し、ある者は死亡して、金さんは群馬県栗生楽泉園(くりうらくせんえん)で孤独な隔離生活を送ってきた。
 

  指紋押す指の無ければ外国人登録証にわが指紋なし


 金さんの作品である。1947年に外国人登録令が発布され、在日朝鮮人や台湾人など旧植民地出身者はまだ日本国籍があったにもかかわらず、一律に「外国人とみなす」とされた。これにより登録証への指紋押捺が義務づけられたが、金さんの場合、病のため指が失われていて、指紋を押そうにも押せなかったのである。
「外国人」とされた結果、在日朝鮮人国民年金法の適用外とされるなど、日本の福祉政策の枠外に押し出された。そのため、日本人と金さんのような在日朝鮮人との間に不当な待遇上の格差が生じた。同じ療養所の患者でありながら、一方は副食に卵や砂糖を摂ることができ、他方にはそれはできないのである。
 金さんは1949年に両目を失明している。52年に点字の舌読を学び始めた。ハンセン病患者の多くは指先の感覚を失い、悪化すると指そのものを失う。そうなると、点字も指では読めない。そこで、まだ感覚の残る舌先で読むのである。その凄まじい練習の模様を金さん自身がこう語っている。

 五十音を打ってもらって、なめてみたんだけど、とにかく最初はなんにもわからない。そして、じっとやっていると肩はこるし、目は真っ赤に充血するし、涙はぽろぽろ出るし、唾液は出るし、すぐに紙はべたべたになってしまい、それで濡れても点がつぶれないような紙ということですね、例えば絵はがきとか、カレンダーの表紙とかね、そういうものに打ってもらってやると、最初はなめらかなんだけれど、そのうち、角が立ってきて穴が開くんだね、それでこうやっていると(舌を出して首を振るしぐさをする)濡れてぬらぬらしてくる。いつものように、唾だろう、と思ってまだやていたら、晴眼者が見て、わあ、おい血が出たぞと言われてね。舌の先から血が出ているんだね。(金夏日『点字と共に』皓星社


 舌を血だらけにして金さんが身につけたのは日本語点字だけではない。その後、彼は朝鮮語点字も学んだのである。

  点訳のわが朝鮮の民族史今日も舌先のほてるまで読みぬ


 在日朝鮮人であること、そしてハンセン病患者であることで二重の差別を受けてきた。国家によって理由のない強制隔離までされてきた。家族兄弟を奪われ、朝鮮語を奪われ、視力を奪われ、指さえも奪われた。その人物が、比喩ではなく、血を流しながら文字を獲得し、自らの歴史を学び、自らが何者であるかを語る言葉を獲得したのである。
 母語の共同体から引き剥がされ、異なる言語共同体へと流浪して行くディアスポラたち。彼らは、新たに流れ着いた共同体で常にマイノリティの地位におかれ、ほとんどの場合、知識や教養を身につける機会からも遠ざけられている。そうした困難を乗り越えて言葉を獲得することができたとしても、それを解釈し消費する権力は常にマジョリティが握っている。その訴えがマジョリティにとって心地よいものであれば相手にされるが、そうでない場合には冷然と黙殺されるのだ。


  徐京植ディアスポラ紀行』岩波新書、2005年、202頁〜205頁、asin:4004309611


他方、金夏日の歌集やエッセイの読者だった桂川潤は、「テキストが身体に入っていく」と表現される読書のあり方を重視する「書物としての身体」という独自の観点から金夏日の舌読を基本としたテキスト体験に深い関心を寄せていた。そしてとうとう今年の5月末に群馬県の栗生楽泉園に84歳になった金夏日さんを訪ねている。

 夏日さんは若くしてハンセン病を発症し、病気の進行とともに失明、さらには指の触覚も麻痺して点字すら読めなくなってしまう。ハンセン病者特有の「第二の失明」といわれる悲劇だが、夏日さんは、国立ハンセン病療養所・栗生楽泉園の仲間二人とともに、なんと舌で点字を読む「舌読(ぜつどく)」に挑んだ。点字ですら初学時は「半日も続ければ身体をこわす」と言われるほどの集中力を要する。その点字を舌でなぞり、理解していくというのは想像を絶する行為だ。夏日さんは自著『点字と共に』に次のように記している。

 五十音を打ってもらって、なめてみたんだけど、とにかく最初はなんにもわからない。そしてじっとやっていると肩はこるし、目は真っ赤に充血するし、涙はぽろぽろ出るし、唾液はでるし(中略)
唾だろう、と思ってまだやっていると、晴眼者が見て、わあ、おい血が出たぞと言われてね。舌の先から血が出ているんだね。ともかく大変だったです。


 文字どおり血の滲むような努力で、夏日さんは舌読を身につけた。しかし、舌読は極度の集中力を要し体力を消耗する。後に聖書やレ・ミゼラブル等の大著を読破する夏日さんも、いきなり本を読めるようになったわけではない。点字を学び始めた頃は、まず、三十一文字で完結する短歌が、身体的に無理のないテキストだった。そしてこの短歌が、金夏日さんを表現者として開花させる。盲人の短歌会では、歌が二度読み上げられると、参加者は即座に記憶し、互いに評しあうという。テキストが「身体に入っていく」のだ。作品を文書化する際も、暗記しておいた歌を声に出して盲人会の職員に代筆してもらう。まさに「書物としての身体」なのである。

 1960年ころの楽泉園では、指読者より舌読者の方が多かったという。しかし時代の流れとともに、テープによる「本」=テープライブラリーが増え、困難な舌読でなくとも、入園者はテキストを享受できるようになった。テープ図書の作成は点字のような専門性を要しないので、朗読奉仕者も増え、テープライブラリーも充実していく。それ自体はすばらしいことなのだが、心血を注いで舌読を獲得した人々には、「直かに本を読むことはテープにまさる」という思いもあったようだ。夏日さんは『点字と共に』で、以下のように記している。

 テープレコーダーが普及した現在、点字よりもテープを利用する会員(註:盲人会会員)が多くなった。嵩張る点字書を抱え舌読するよりは、備え付けのテープレコーダーにテープを回して聞く方が、それは確かに楽には違いない。私自身盲人会のテープライブラリーから、徳川家康などの多くのテープを借りて聞いている者の一人である。でも点字には点字のよさがあり、テープを聞かない日はあっても、点字書を開かぬ日はまずないと言ってよい。(中略)
 テープ聖書もテープライブラリーにあるが、一冊をじっくり味わって読むにはやはり点字だと思う。手を伸ばせば届くところに本棚があり、十分でも二十分でも時間さえあれば、点字書を手に取って舌読している。歌を考えている時点字書が一冊前にあるだけで、何となく気持が落ち付くのだから不思議だ。私にとって点字に触れることは、生きていく為に毎日食事をするのとまったく同じことである。


 金夏日さんの歌を横書きにはしたくないが、何首かあげてみたい。

 書きかけの原稿幾度も持ち出して捨てんとしたりわれは疲れて (『やよひ』p.150)

 指紋押す指の無ければ外国人登録証にわが指紋なし (『やよひ』p.12)

 今は亡き友の庭よりふきのとう一つとりきて細かく刻む (『機を織る音』p.105)

 戦死せし兄は遺族の知らぬ間に靖国神社に祀られていき (『一族の墓』p.72)

 
 これらの歌集やエッセイを読み進むうちに、著者の金夏日さんに直接お会いして、舌読のこと、創作のこと、そして「書物としての身体」という問題について伺ってみたい。そんな思いが、矢も盾もたまらずに沸き上がってきた。そして、一週間後、版元の影書房のお骨折りで、金夏日さんと連絡をとることができた。

 昨年、大きな手術をして体調が今ひとつ、という夏日さんだったが、訪問を快諾いただけ、5月29日〜30日に、大月書店の西浩孝さんと、草津にある国立ハンセン病療養所・栗生楽泉園を訪ねた。84歳になる金夏日さんに負担とならぬよう、二日間で3時間ほどの懇談だったが、「一期一会」という言葉そのままの、強烈な出会いが忘れられない。

 コンピュータやインターネットを体験していない夏日さんに、電子ブックをどう説明しようかと案じていたら、とんでもない。夏日さんは「テレビやラジオで聞いたことがあるよ。たいへんな時代になっちゃったもんだね」と、状況を的確に把握していらっしゃった。「テープは便利だけど、流れちゃうんだな。読み返しができないからどうしても受け身になってしまう。やっぱり自分で直接味わって読みたいんだな。何ページの何行目という感じにね」
 ページネーションという概念がなくなってしまった電子ブック時代に、この一言が深い意味を持つように感じた。

(中略)

三日後、金夏日さんから手紙が届いた。
「電子ブックのような、読んでみて消えてしまうものではなく、従来通りのじっくり読んでいける本を、この先もずっと残していってほしいものです」。短い時間ではあったが、金夏日さんにお会いできたことで、本づくりに対する思いを新たにすることができた。


トピックス2010年6月6日(桂川潤のweb site)


なるほど。しかし、ノンブルの消失によって流動化した電子ブックにおけるページ現象は必ずしもページネーションの消失を意味しないと私は考える。むしろページネーションという概念がより深いところから問われているのが電子ブック時代なのではないか。すなわち、物理性を失い、薄さゼロになったページからなる電子ブックにおいては、従来紙媒体のページに埋め込まれてきた諸力が解放され始めたと捉えるべきなのではないか。つまり、ノンブルを欠いた可変的ページネーションによるテキストが当たり前のように入ってくる新たな身体が予感される。他方、金夏日さんの「やっぱり自分で直接味わって読みたいんだな。何ページの何行目という感じにね」という何気ない一言には、舌読に堪える電子点字ブックが到来することへの密かな願いを読みとるべきなのかもしれないと思った。もしそれが実現されれば、金夏日さんのいう「行やページ」の意味も変るだろう。


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