徳永進の「野の花診療所」と「こぶし館」


ハンセン病―排除・差別・隔離の歴史


沖浦和光徳永進が共編した本書は、2001年5月の熊本地裁における「らい予防法人権侵害謝罪・国家賠償請求訴訟」の原告勝訴とつづく政府の控訴断念を受けて、同年11月に緊急出版された。沖浦和光の被差別民に関する著作を次々と読んでいるうちに、本書に出会い、型破りの医者、徳永進に再会した。本書を読んで、ハンセン病差別の歴史に改めて驚き、差別感の根深さを思い知らされた。ちなみに、当時控訴断念を決断した小泉純一郎首相は、「私は映画『砂の器』を見ているので、ハンセン病のことはよく知っている」と発言して、その無知ぶりを晒したというエピソードがある(臼井佳夫「映画『砂の器』が問いかけてくるもの」、本書221頁)。


本書の成立について沖浦和光は次のように記す。

 本書は、千年余にわたる「癩 - ハンセン病」差別の真実の歴史を明らかにするための叩き台として企画された。
 特に長年にわたって、さまざまの立場の人間とその思想が複雑にからみあった「差別の歴史」は、その当時の権力の志向性を批判するだけでは解明できるような単純なものではない。多様な視座と複眼的な思考、それに基づいた真摯な討議が、「癩 - ハンセン病」差別の歴史的真実を究明する前提条件となる。したがって当然のことであるが、編集の統一基準を求めることなく、それぞれの見地から自由に発言していただいた。まずさまざまな問題点を洗い出すことが、真実解明のための第一歩であると考えるからである。(「はじめに」より)


特に印象的だったのは、編者でもある徳永進の「発言」だった。徳永進は「事が国家対原告団の間で済んでいくなら、国民の多くは何も学ぶことなく、学ぶチャンスを失ったまま、全ては終了へと向かうことになってしまう」と述べ、「これから何ができるのか」ということこそが問われているとして、何よりも「国民の無関心」と「自分が持つ差別感」を動かす必要を訴え、2001年当時の入所者約4200人を故郷に帰還させる、帰郷させるという具体策まで提案している(本書262頁〜264頁)。それで、本書の「緊急出版」の「緊急」ということの意味が腑に落ちた。



隔離―故郷を追われたハンセン病者たち (岩波現代文庫)


徳永進医学生の頃からハンセン病者に深い共感を抱き続け、長島愛生園など五カ所の療養所を訪ね、同郷(鳥取県)の元患者一人ひとりの話を聞き歩いた体験を持つ。そのまるで有能な民俗学者のような聞き書きの記録が『隔離−−故郷を追われたハンセン病者たち』(岩波現代文庫、2001年)にまとめられている。



詩と死をむすぶもの 詩人と医師の往復書簡 (朝日新書)


徳永進の経歴は興味深い。京大医学部を卒業後、京都国立病院、大阪吹田の同和地区診療所医師、鳥取赤十字病院内科医を経て、故郷の島根に2001年に「野の花診療所」を開設した。また1989年には「こぶし館」という宿泊もできる多目的ホールを造った。徳永進谷川俊太郎との往復書簡『詩と死をむすぶもの』(朝日新書、2008年)の中で、「野の花診療所」と「こぶし館」について、次のように語っている。

…その診療所というのは、ホスピスなんだけれど、がんの末期の人に限定したいという気持ちはなくて、とにかく「助けてくれ!」みたいな叫びに−−大げさですけど、そんな訴えがある人であったら誰でも受け入れられる、そんな場所をつくろうと思っていました。(215頁)


なぜこぶし館を造ったかというと、一つは鳥取出身のハンセン病の人がいつでも泊まれるようにということがありました。別にハンセン病にかかわらず、何かに追われるというか、社会から追われるような人があったら匿(かくま)いたい。ここでゆったりした時間を過ごして欲しい、と。二つ目は、こぶし館のなかにはホールがあります。そこで、谷川さんもそうですが、何か変ったことや面白いことを言う人に来てもらってしゃべっていただく。「そういう考え方もあるのか」って驚きたいと思いましてね。鳥取にいてもそういうことに気が付きたいと思ってね。(216頁)


素晴らしい。徳永進は自分の中のあらゆる差別感と闘い、国民の無関心を動かしうる険しい道を歩み続けているように思う。沖家室島の松本昭司さんの「善根宿」を連想する。


参照


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