目は何のためにあるか

五十歳を過ぎて、本を読むために目を使うなんて馬鹿げている。目には他に使い途があるはずだ。世界にはもっと目で見るべきものがあるはずだ。一理あるようなないような極論であるが、そう豪語したのは百鬼園先生だったかな。記憶は覚束ない。他方、九十歳をこえてなお旺盛に読書する人もいる。三か月かかってようやくハーマン・メルヴィルの『モービー・ディックあるいは白鯨』を読み終えたぞ! 読了! と叫ぶのはジョナス・メカス。細部の豊かさと云い、詩情と云い、これは出版された英語で書かれたものの中で最高の小説だ!と断言する。翻訳された『白鯨』は読み始めてすぐに何度挫折したことだろう。ジョナス・メカスによれば、読了するコツは無理せず毎日少しずつ味わって読むことだと云う。しかし、気になったのはそれは「英語で書かれた」というフレーズだった。なるほど、翻訳を読んでも仕方がないか。原書を読むしかないか。三か月ではとても無理だろうけれど。



On reading Herman Melville’s Moby Dick, Jonas Mekas' Diary, February 2, 2012