札幌、薄曇り。南西に晴れ間が広がる。空が「軽く」なって、藻岩山もすっきりと全容を現した(→ Mt. Moiwa, December 16th, 2007)。昨夜から今朝にかけて新たに20cmくらい雪が積もった。電線にも積もっていた。気温が下がったせいで、ふわふわと軽ーい粉雪だ。昨日までの霙に近い雪とは見た目も全く違う。同じ雪景色でも昨日とは全く印象が違う。
除雪に精を出す人たちにたくさん出会う。ヤマブドウの実と萎れ切った小ぶりのヒマワリの花をまだ見ることができた。藻岩神社の境内はきれいに除雪され、たんぽぽ公園の動物遊具は半分以上雪に埋もれ、サフラン公園内には獣道のような細い道しかついていなかった。人影はなかった。毎朝散歩中にほとんど盲滅法に反射的に撮った数十枚の写真を見ながら、どれをここに載せようか、これにしようか、あれにしようか、迷っている時間もまた至福の時間なのではないか、と不図散歩中に思った。
(サフラン公園)
ナポリ下町の代書屋マリオの人生
昨日の夕方、NHKのBS1でイタリアのナポリの下町で長年「代書屋」をやっているマリオに取材したドキュメンタリー番組を見た。製作はNHKエンタープライズ。ここはいいドキュメンタリー番組を作る。とてもしみじみとしたいい気持ちになった。いい人生だなあと素直に思えた。マリオは幾つくらいだろう。70歳くらいだろうか。生計は年金で立てている。代書屋としての収入は微々たるもので、ほとんどボランティアに近い。独身である。一日数杯のエスプレッソとダンスをこよなく愛す。
今の日本には行政書士や司法書士は存在するが、マリオのような「独立よろず系」の代書屋は存在しないだろう。イタリアのナポリの下町でさえ、マリオは「最後の代書屋」と言われる。映画の好きな人なら、ウォルター・サレス監督『セントラル・ステーション』(Central do Brasil, 1998)というブラジル映画に登場する中年女性のドーラがリオの中央駅前で同じような代書屋をやっていたことを思い出すかもしれない。文字が書けない、読めない人が多かった時代や地域で必要とされた仕事だった。今でもナポリの下町にはそういう高齢の人たちがいっぱいいて、マリオに助けを求めに来るのだった。みんな貧しい人たちばかりだ。役所に提出する年金支払い申請書の代筆から、刑務所に入っている息子への手紙の代筆まで、マリオはお客さんと対話しながら、彼らの代わりに文字を書く。代金は書類一枚が50セント、二枚以上でも1ユーロから高くて1.5ユーロ。みんな貧乏だからね、という。
毎朝、彼は下町にある市役所の裏口近くの歩道の決まった場所に「青空事務所」と称した店を開く。イタリアとヨーロッパ共同体の小さな旗を花壇の隅っこに立てる。「国を愛しているんだ」と言う。そして折りたたみ式の小さな机と椅子を組み立てる。ぼろぼろになった百科事典を机の左隅に置く。「文化を愛しているんだ」という。
青空事務所は午後1時に閉まる。市役所の窓口が閉まるのと同じ時間。郊外の自宅、市営住宅の一室に戻った彼は昼食後のエスプレッソを入れ、美味しそうに味わった後、ちょっとめかしこむ。ダンスに出かけるのだという。若い女性たちと踊るのが楽しみなのだ。ダンス教室には、彼よりは若い50代、60代くらいの女性がたくさんいて、マリオに話しかけてきて、踊りに誘う女性も少なくないようだ。マリオは相手を変えてはダンスを楽しむ。「ダンスは生きる喜びなんだ」のような内容のことを言う。
マリオは自宅で近所の不登校になった女の子に勉強を教えたりもしている。その母親はよくマリオの分まで作った料理を持ってきてくれるらしい。今日は瓶詰めのナスのオイル漬けだった。瓶詰めを受け取り、見つめるマリオの嬉しそうな表情が印象的だった。
若い頃、持病の喘息が原因でそれまでの電器屋の職を失い、10年間何もできない時期を過ごしたという。そして元手がなくとも出来る仕事は何かないかと探した末に見出したのが、すでに歴史の一ページになっていた「代書屋」という職業だった。しかし、彼が生きる社会の現実は未だに代書屋を必要としていた。特にナポリの下町にはイタリア国外からの貧しい移民も多く、読み書きが出来ない人も多いという。マリオは代書屋としての誇りについて「社会は私を必要としている」と言う。
以上、うろ覚えで書いたので、細部では事実誤認があるかもしれない。NHKオンラインの番組紹介ページがある。
この番組を見ながら、マリオの生き方に惹かれる自分がいることに気づいていた。独立系のよろず寺子屋みたいなビジョンが自分のなかにあることにも気づいた。
reading Rimbaud on Beethoven's birthday:365Films by Jonas Mekas
ジョナス・メカスによる365日映画、12月16日、350日目。
Day 350: Jonas Mekas
Sunday, December 16th, 2007
10:21 min.
自宅アパートでラジオから流れるベートヴェンのピアノ協奏曲(未同定)を聴きながら、メカスとオーグストとエリカの三人は、ベートーヴェンの誕生日を祝って赤ワインで乾杯する。
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オーグストはランボーの詩集をエリカに手渡す。ぱらぱらと捲っていたエリカはある詩を朗唱し始める。よく聞き取れない。メカスは「ランボーが語るのは幻想じゃない、現実だ」と強い口調で言う。最後にエリカは「酔いどれ舟(The Drunken Boat)」とポツリと言う。メカスも「酔いどれ舟からだったのか」と言うが、どの一節かは確認はできなかった。
(追記・メモ)
ベートーヴェンを聴きながら、ランボーの詩のリアリティについて語るところも面白いが、港町マルセイユについて語るところがもっと面白い。路地、路地と言っていることから、おそらくパニエ地区(Quartier du Panier)のことをイメージしているのだろうと推測する。「マルセイユの旧港をひとめぐり」にこうある。
旧港の北側に位置するパニエ地区は、マルセイユの下町といった雰囲気が味わえるところです。かつて漁師たちの居住区だったパニエ地区は、昔ながらの家々が並び細い路地や階段が入り組んでいます。
ランボーは1891年11月10日にマルセイユの現存するコンセプシオン病院(l'Hopital de la Conception)で最期(享年37歳)を迎えたという事実はよく知られているが、メカスがランボーに関して、ランボーの「詩的ないしは文学的生涯」と同等に、否それ以上にマルセイユの路地的空間を賞揚しているところが新鮮で興味深い。マルセイユにとってはランボーは一人の客死した貿易商でしかなかった。
「アルチュ−ル・ランボー 地獄の一季節(年表)」にはこうある。
ジャン・ニコラ・アルチュ−ル・ランボー 37歳
仏蘭西シャルルヴィル生まれ
商人、マルセーユ通過中、1891年11月10日、午前10時死亡 全身癌腫
また、最初に入院した時の記録について、「ランボーの右足 XXVII.」にはこうある。
高級船員病室----5月20日。氏名、ランボー、アルチュール。年齢、38才(*注170)----職業、貿易商----レ・ザルデンヌ県シャルルヴィル生まれ。短期滞在。
病名:大腿部腫瘍。
医師:P・ユリエ(?)
入院登録番号:1427
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注170:この年齢記載は誤りで、ランボーは当時満36才、きっかり5ヶ月後の91年10月20日で37才になるはずだった。あるいは兵役の懸念があったために、本人特定の可能性を少しでも減らすべく、本人が年齢詐称したのだろうか?