夜の散歩


朝、散歩に出られなかったので、夜の散歩に出た。道という道はますます幅が狭くなり、両脇に寄せられた雪は2メートル近い壁になっていた。静かな夜だった。冷え込んで引き締まった雪を踏みしめる靴音が、キュッ、キュッと響く。どんなに大雪に見舞われても、主要な道にはすぐに除雪車が入り、市内の交通が大きくマヒすることはない。町内の裏道も半日もしないうちに人はもちろん車もなんとか通れるようになる。大したもんだと思う。

里見甫と甘粕正彦

誰しも薄々感じているこの日本の不透明な金回りを牛耳っている仕組み、いわゆるエスタブリッシュメント*1の裏側の仕組みを改めて知っておく時が来たと思って、色々と読みあさっているうちに、遅ればせながら、佐野眞一のノンフィクション、ルポルタージュに出会った。色んな見方ができるが、基本的に信頼できそうだなあという印象を持った。もちろん、フィクション/ノンフィクション、事実/想像の間に、厳密な線を引く事は難しい。しかし、一読すれば、だいたい、それが信頼できるか信頼できないかは、直感で区別できる。

阿片王―満州の夜と霧 (新潮文庫)

阿片王―満州の夜と霧 (新潮文庫)

甘粕正彦 乱心の曠野

甘粕正彦 乱心の曠野

日本に限った話ではないだろうが、私の生まれ育った戦後の日本もまた、戦前からのえげつない、ろくでもないことをしでかした連中の作った土台の上にあることを嫌でも知ることは大切なことだと思う。それは「時代」と言って簡単に済ませられることでもない。その遺産、負債を色んな形で継承しているわけだから。日本の戦後を準備した戦前、戦中の特に上海と満州を舞台にした動向の中で佐野眞一が注目した二人の人物は大変興味深い。里見甫(さとみはじめ)と甘粕正彦(あまかすまさひこ)。悪い意味でも良い意味でも、戦後の日本のエスタブリッシュメントに属する人物で二人と無縁な者はいない。それは軍政財界だけの話ではなく、既存のすべての産業、メディア、通信、映画産業は言うまでもなく、芸能、文学、学問(民族学など)に至るまでそうである。

思うに、インターネットを、そんな支配体制を強化する方向ではなく、そこからの「脱出お助けマン」として活用する方向を模索することが大切なんだろうな。そして、佐野眞一が忘却の淵から掬い上げた類い稀な人間、里見甫と甘粕正彦の身の処し方の中には、組織やシステムの観点からもヒントになることがいろいろとあると感じた。「人は組織を作るが、組織は人を作らない」(『阿片王』225頁)。

*1:既成の秩序・権威・体制。支配体制。権力や支配力をもつ階級・組織。

暴風雪

家から出られず。

(追記)

その後、本を読みながら、雪が小降りになるのを待つともなく待っているとき、フト窓の外を見ると、坂の下で一台の白い小型車が立ち往生しているのが目に入った。これは出番だと思って、玄関扉をなんとか押し開け、少しの隙間から外に飛び出して、驚いた。南に面した玄関の扉は雪で真っ白になり、積雪は優に50センチを超えていた。昨夜の台風なみの風の吹き荒れる不気味な音が一瞬蘇った。玄関脇に立てかけてあった雪道脱出具(脱出ボード)は雪に埋もれかけていたが、それを引っ張り出して、立ち往生している車のもとに駆けつけた。隣家の奥さんだった。娘さんをピアノ教室に送るところだった。タイヤが空回りして脱出できなくなっていた。右前輪に「脱出お助けマン」(別名「ヘルパー君」)*1を噛ませてから、奥さんに脱出を試みてもらった。一発で脱出できた。その後その辺りの雪かきをしてから、自宅前の雪をかいた。汗だくになった。

参照:

*1:私の勝手な命名であり、商品名ではありません。念のため。