里見甫と甘粕正彦

誰しも薄々感じているこの日本の不透明な金回りを牛耳っている仕組み、いわゆるエスタブリッシュメント*1の裏側の仕組みを改めて知っておく時が来たと思って、色々と読みあさっているうちに、遅ればせながら、佐野眞一のノンフィクション、ルポルタージュに出会った。色んな見方ができるが、基本的に信頼できそうだなあという印象を持った。もちろん、フィクション/ノンフィクション、事実/想像の間に、厳密な線を引く事は難しい。しかし、一読すれば、だいたい、それが信頼できるか信頼できないかは、直感で区別できる。

阿片王―満州の夜と霧 (新潮文庫)

阿片王―満州の夜と霧 (新潮文庫)

甘粕正彦 乱心の曠野

甘粕正彦 乱心の曠野

日本に限った話ではないだろうが、私の生まれ育った戦後の日本もまた、戦前からのえげつない、ろくでもないことをしでかした連中の作った土台の上にあることを嫌でも知ることは大切なことだと思う。それは「時代」と言って簡単に済ませられることでもない。その遺産、負債を色んな形で継承しているわけだから。日本の戦後を準備した戦前、戦中の特に上海と満州を舞台にした動向の中で佐野眞一が注目した二人の人物は大変興味深い。里見甫(さとみはじめ)と甘粕正彦(あまかすまさひこ)。悪い意味でも良い意味でも、戦後の日本のエスタブリッシュメントに属する人物で二人と無縁な者はいない。それは軍政財界だけの話ではなく、既存のすべての産業、メディア、通信、映画産業は言うまでもなく、芸能、文学、学問(民族学など)に至るまでそうである。

思うに、インターネットを、そんな支配体制を強化する方向ではなく、そこからの「脱出お助けマン」として活用する方向を模索することが大切なんだろうな。そして、佐野眞一が忘却の淵から掬い上げた類い稀な人間、里見甫と甘粕正彦の身の処し方の中には、組織やシステムの観点からもヒントになることがいろいろとあると感じた。「人は組織を作るが、組織は人を作らない」(『阿片王』225頁)。

*1:既成の秩序・権威・体制。支配体制。権力や支配力をもつ階級・組織。