生活者としての視点

『横浜逍遥亭』の中山さんが私の拙(つたな)いウェブの進化やグーグルの「怖さ」に関する考察に言及してくださった。
2006/09/15「牧羊犬は頭を垂れる」http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20060915/p1
私は私の考察の足場の心もとなさを反省すると同時に非常にリアルな中山さんの「生活者としての視点」からの率直な発言に心打たれた。中山さんの真摯な言葉を一部だが、是非引用しておきたい。

しかし、現実には、僕らの周囲には慣れ親しんだ労働の形から疎外された者の苦しみが充ち満ちている。全体を振り返れば一握りに過ぎない成功者を肯定する価値観をほんとうにこの国の人々は望んでいるのだろうか。そんな問い自体を無力化するのがグーグルに代表される米国型IT競争社会だと、非エンジニアの僕は素朴な嫌悪感を感じている。嫌だからと降りるわけにも行かない。「毒食わば皿まで」だ。

僕が情報産業の象徴としてのグーグルに感じる怖さというのは、一握りの情報工学のエリートの集まりが我々の情報消費の型を生み出す一方で、ごく小さい雇用機会しか連れてきていないという現実に起因している。

この問題については生活者としての視点を離れて発言する気にまったくなれないのである。

しかし、と思った。これは私の勝手な願望だが、中山さんのような人にこそ、「一握りの情報工学のエリートの集まり」の発想に「喝」を入れて、「慣れ親しんだ労働の形」を無闇に駆逐してしまわずに、共存できるようなヴィジョンをなんとか提示してもらいたいなあ。ちなみに、はてなの近藤さんの言動にはそんなヴィジョンにもつながるような健全な雰囲気を感じます。(取り急ぎ)。