違いが分かる人になれるか

違う物事の中に何か共通な点を探し求めたり、かけ離れた物事の間に密接な関係を発見しようとすることは、たしかに知的な営みのひとつの模範的な態度、科学的な態度かもしれない。しかし他方で、その出発点にある「違い」や「乖離」の認識には、そう認識できるための共通な土俵や密接な関係の成立をあらかじめ保証してくれている地平が無意識に前提とされている。例えば、異なる文化や言語の間に何らかの共通性を発見することは、実は「文化」や「言語」という見方、認識の成立の中に先取りされていると言える。未知の共通性や関係性を探究することと、探究自体が前提とする共通性や関係性に眼を向け、そこに未知の異質性や無関係性を発見してしまうことを両立させることが最近の私の課題である。前者のお手本には事欠かないが、後者のお手本にはあまりお目にかかれない。

1)違いの認識を出発点にして未知の共通性や関係性を発見する
2)違いの認識を支える原共通性、原関係性を発見する
3)原共通性、原関係性を出発点にして、より深い違いの認識へ向かう

2)と3)を欠いた1)だけの探究は平板で息苦しいものになる。