グーグルランドと奄美の精霊が示唆する時間

ウェブサイトやウェブログをある程度本気でやると分かる一つのことは、これは独りで書き手、編集者、デザイナー、エンジニア、経営者をこなすような前代未聞のメディアであるということだ。それに気づかず、旧来の一メディアの焼き直しに終始するか。怖じ気をなして撤退するか、そこに可能性を感じて突き進むかは、人それぞれ。私の場合は、すべてが中途半端な情けない状態だが、身の程も弁えず、その可能性に懸けて試行錯誤、七転八倒している。赤面ものの失態続きにも関わらず、暖かく見守ってくださるブロガー諸氏のお陰で、今日までなんとか生き延びている。

と、これはネットの「こちら側」での事実。そして他方、そのような「こちら側」での一種の革命を支えているのは、ネットの「あちら側」で起っているもっと深いところでの革命。これは、もうネット体験を積み、bookscannerさんの報告などを勉強し、美崎さんのように自分で実験することを通してしか、つかめない。何せ、相手はグーグルだし、アマゾンだ。

ビジネスの観点を除けば(普通はそれが除けないからよりいっそう難しいのだが、私の場合は呑気なので、除いてしまう)、グーグルがやろうとしていることは、人類の記憶全体を資源として活用できるようなネットワーク・システムを構築することだと言える。そしてそれは着々と進められていて、2009年にはある意味で完成するらしい。そうなったときに、起るであろうことは、旧来の様々な制度、体制、観念の崩壊だろう。したがって、そこでは未曾有の軋轢や闘争が頻発するだろう。崩壊しては困る側にいるひとびとは猛反発し、そうではないひとびとは歓迎する。

しかし、本当に問題なのは、崩壊した後に生まれる、あるいはすでに生まれているが故に崩壊に導かれる、新しい世界観自体が本当に望ましいヴィジョンなのかどうかが検討される時間と場所は私たちには用意されていないことだ。それをにぎっているのがグーグルただ独り、という世界観の独占状態こそが、最も恐ろしいことだと感じている。事は哲学者が本に書いて終わり、では済まない、現実全体を巻き込んだいよいよ実現しつつあることだからだ。

だから、美崎さんは、それは一体どうなの?皆、そんな状態を望むの?と問いかけられるように、人生を懸けて、「記憶する住宅」、あるいは私の感じでは「想起する住宅」を作ってしまった。それに霊感を受けた私は、非常にちっぽけなスケールだが、記憶想起する環境を意識的に作ろうとし始めている。そうすることで、グーグルの実現しようとする世界は、一体どうなの?望ましいの?そうじゃないの?という一連の問いかけに対する答えを出そうとしている。

しかし、やっぱり難しい。一つには、望むと望まないとに関わらず、状況はグーグルの思い通りに進んじゃっているようだし、その恩恵を蒙っていない人の方が少ないようだし、グーグル的世界観のパーツはどんどん便利なサービスとして既成事実化しつつある。気づいたときには、皆、ディズニーランドで遊んでいるように、グーグルランドで生きている、そんな気さえする。

「未来」は「過去」にあり、すべては「現在」に顕現するようにせよ!

とでも言えるような無時間的な至上の命法に従うかのようなグーグルの動向に、しかし、私の中の奄美の精霊が「飛び跳ねて」、もう一つの時間、別の歴史を示唆したような気がしてならない。そのあたりのことを、近々会うことになりそうな人たちと話し合えれば嬉しいなと思っている。