中山さんの美崎薫邸「記憶する住宅」訪問記

『横浜逍遥亭』中山さんによる美崎薫邸「記憶する住宅」訪問記に舌を巻いた。驚いた。ほとんど同じ時間、同じ場所を私と共有していた中山さんは私が見ていなかっものをいっぱい見ていたのだった。面白すぎる。
2006/11/03 (金)『記憶する住宅』に美崎薫さんを訪ねる(1/2)

それだけでなく、美崎薫氏をご存じない方への配慮も行き届いた解説、中山さんご自身の美崎薫氏の研究と実験への関心の持ち方の推移、そして今回の実際の出会いの様子等から丁寧に説き起こす筆力(以前から定評のある)には改めて脱帽である。美崎さんと私は意気投合して語ったのだった。「中山さんの前で、物書きであるとは自称できませんね!」。

そして当日の訪問の模様が、なんていったらいいのか、非常に焦点深度のふかい目で奥深く捉えられ、しかもそれがとても平易な言葉で表現されている。やられた、と思った。でもまだこれは(1/2)で半分だから、後半がますます楽しみだ。

そしてさらにだめ押しのように、中山さん撮影の写真の雄弁さに驚いた。「中山さんの前で、写真撮ってるなんて、言えないですね」。十三葉の写真は「記憶する住宅」訪問中に流れるように次々と起った出来事の要所要所を、見事なタイミングで、正確なアングルとフレームの中に捉えていた。それらを見ると、私はちゃんと記録していなかった「記憶する住宅」体験の細部をまざまざと想起することができる。

美崎さんの穏やかなトーンの懇切丁寧な解説を伺っているときに、愛猫「パセリ」の視線を背中に感じていたことさえ鮮明に思い出した。

三上さんと僕が予定の時間から1時間遅れて待ち合わせの場所に合流したとき、ちょうど美崎さんはrairakku6さんに「SamrtWrite/SmartCalender」の使い方を説明していた。その懇切丁寧で、分かりやすくて、自然な様子を見て、美崎さん自身にも「SamrtWrite/SmartCalender」にも、パソコンを通じて接しているだけでは見えていなかったサムシングを感じてしまったのだ。

中山さんが書きとめた「パソコンを通じて接しているだけでは見えていなかったサムシング」を私もまた美崎薫さんに強く感じた。そしてその「何か」が「記憶する住宅」の核心につながり、それはデジタルとかパソコンとかインターネットといった、メディアやツールやインフラの地平を超える「思想」としかいいようのない地平を垣間みることにも繋がっていったと私は感じている。