報道写真家・桑原史成

先月初め、中堅・ベテラン写真家に贈られる「さがみはら写真賞」を受賞した桑原史成さん(69歳)にかんする朝日新聞のコラム「ひと」を切り抜いたままずっと机の片隅に置いてあった。ときどき皺に刻まれた桑原さんのお顔が写った写真を眺めていた。今日になって初めてその記事をちゃんと読んだ。桑原さんの顔、特に両眼の周りに刻まれた無数の皺は、報道写真家が抱えざるを得ないジレンマを真摯に深く受け止め続けてきた徴なのだと合点した。

いわゆる「水俣」報道写真家として名を馳せた桑原さんは、その後自分をより深く広く試すかのようにして、軍事政権下の韓国、ベトナム戦争、沖縄、混乱するソ連邦カンボジアアフガニスタンルーマニアへと赴き、痛ましい出来事、圧倒的な数の人間的廃墟と敢えて向き合ってこられた。それらの写真は弱者や病者や死者たちと交わしたのっぴきならない実際の対話に他ならない。だから、桑原さんは現在までに撮影した60万点の写真を対話相手の存在の尊厳にかけて、次のように語る。

20世紀の典型的な出来事を記録した写真を、世の遺産として遺したい

そんな桑原さんは、自らの写真家としての出発点を振り返りながら、当時の偽らざる自分をもさらけ出している。

写真家としての欲望と相手を思いやる気持ちとの両方を持ちながらやってきた。水俣では告発したいという言葉をついにいえず、写真界の登竜門をくぐりたいからと正直にいって取材を申し込んだ

しかし、その「正直さ」が水俣病に苦しむ人々の心を開いたからこそ、桑原さんの水俣の写真は大反響を呼び、患者たちの救済へと大きく状況を動かす力にもなり、ユージン・スミスの写真家魂をも深く打つことになったのだと思う。


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