村上春樹の「日本地図」:鈴村和成氏の「『村上春樹のノモンハン』を行く」を読んで

旅行記を読むのが好きだ。記録性の強いトラベローグtravelogue。流行のライフログではなく、本当の意味での人生の記録のような、旅が人生の極限の姿を晒しているような記録。自分のためだけの記録でもなく、かといって大向こうの人気を狙った記録もどきでもなく、自他の境界が激しく揺れ動いているような、自分をどこかで思い切り突き放してしまっているような気迫と目を感じる文章。

6月30日に、読み始めたことだけを記録した、鈴村和成氏の「『村上春樹ノモンハン』を行く」(『文學界』7月号)は面白かった。*1村上春樹の小説を不思議な「日本地図」に見立てての、渾身のトラベローグだった。安全でおしゃれな旅の報告ではない。文字通り一歩間違えれば死んでいたに違いない出来事に至極あっさりと何度も遭遇したり、みっともない姿を曝け出したり、己の無力感に打ちひしがれたり、結局その場その場で危険を承知の上でだれかを信頼するしかなかったり、そこには普段の生活では見えなくなりがちな「底」が24時間終始露呈している。しかもその底にはさらに「穴」が開き、そこから広がる暗闇に蠢くものの気配に鈴村氏は、村上春樹の小説(直接的には『ねじまき鳥クロニクル』)の最も深い動機を再発見し、文字通りの「恐怖と戦慄」を体験したらしい。

成田を発つ航空機で読みはじめ、北京からハイラルに飛ぶ便を待つ搭乗ゲートでも、ハイラルの北苑賓館でも、ハイラルから北京に向かう夜汽車の寝台でも、北京---ウランバートルの国境を越える機中でも、スンベル村のハルヒンゴル・トブでも、三冊の『ねじまき鳥』がかたわらにあった。本のページを歩いたのか。ときにはノートに引くために書きうつした。ときには雪道でスタックに遭い、下痢に苦しんだが(ウランバートルに帰った翌日から下痢はぶり返し、はげしい嘔吐もはじまった)、本を手放すことはなかった。『ねじまき鳥』の渦巻く恐怖の源は、モンゴル辺境のホロンバイル平原、ハルハ平原、ハルハ川にあったのだ。小説のページがあの広大な平原と深い闇の井戸、『世界の終りと…』の金色の体毛をした一角獣や、『羊を…』の背中に星を負った羊、いろんな幻影のたちまじる道なき道の限りない空間を生み出したのだ。国境とは、壁とは、井戸なのだ。村上の小説は、壁を通り抜ける物語だ。「壁抜け」して異次元界に突入する。そこでは、小説と場所がもつれあい、錯綜し、先になり、後になりする。なんという迷宮的、時間錯誤的な村上春樹の時空だろう。ウランバートルのホテルでいまこうして読み終えた後も、「ねじまき鳥」がギイイイイイイッとねじを巻いて鳴く余韻が体に残っている。------ノモンハン戦の国境の村から戻ったばかりの私の体に、恐怖と戦慄の余韻が鳴りひびいているように。(155頁)

「時間錯誤的」であると同時に「空間錯誤的」でもあるとつけ加えるべきかもしれないが、村上春樹の良い読者ではない私にとっては、むしろ、村上春樹の地図には載っていなかった、鈴村氏が生身で描きかけたラフな地図のほうに関心がある。なぜ、この時期にわざわざノモンハンに行ったのか。それは村上作品のなかにすでに描かれた「日本地図」ではなく、まだ誰も描き切ってはない「日本地図」に関係するのだと思う。

鈴村氏の「『村上春樹ノモンハン』を行く」を読み終えて、自宅の本棚にすっかり埃をかぶってあった講談社文庫版の『アンダーグラウンド』を手に取って、ぱらぱら捲っていた。単行本が出た当時、一読した記憶があるが、内容はよく覚えていなかった。鈴村氏も冒頭で触れていた「目じるしのない悪夢」(1997年1月5日)の中で、村上春樹の強い調子の命法が連打されていて驚いた。

私が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の中で「やみくろ」たちを描くことによって、小説的に表出したかったのは、おそらくは私たちの内にある根元的な「恐怖」のひとつのかたちなのだと思う。私たちの意識のアンダーグラウンドが、あるいは集団記憶としてシンボリックに記憶しているかもしれない、純粋に危険なものたちの姿なのだ。そしてその闇の奥に潜んだ「歪められた」ものたちが、その姿のかりそめの実現を通して、生身の私たちに及ぼすかもしれない意識の波動なのだ。

それらは何があっても解き放たれてはならない。またその姿を目にしてもならない。私たちは何があろうと、「やみくろ」たちを避けて、日の光の下で生きていかなくてはならない。地下の心地よい暗闇はときとして私たちの心を慰め、優しく癒してくれる。そこまではいい。私たちにはそれも必要なのだ。しかし決してその先に進んではならない。いちばん奥にある鍵のついたドアをこじ開けてはならない。その向こうには「やみくろ」たちの果てしなく深い闇の物語が広がっているのだ。(774頁)

これが書かれてから10年あまり経った。村上春樹の警告も虚しく、その後日本では「やみくろ」が堂々と闊歩するようになってしまったような気がするのは私だけだろうか。日本中がいわばアンダーグラウンド化した?*2否、村上春樹はすでに10年前にそうだったことに気づいていたのではないかと思う。もう手遅れとは知りながら、もしかしたら引き返せるかもしれないと一縷の望みをかけて、上のように強い祈りのようにも読める文章を綴ったのかもしれない。だとすれば、その後の村上春樹の書くことは、アンダーグラウンド化した、「やみくろ」が闊歩する日常世界でサバイバルするための物語になっているはずだろうが、残念ながら私は不勉強で、その後の村上作品を一つも読んでいない。翻って、鈴村氏もそう感じていたからこそ、「やみくろ」のルーツを見定めるために、わざわざ命がけの旅を敢行したような気がしないでもない。

*1:鈴村氏について私はよく知らない。昔、エドモンド・ジャベスについて書いていたような記憶が微かにあるだけである。

*2:アンダーグラウンド」をこのような特殊日本的な意味で使わざるを得ないのはとても残念である。その点では、村上春樹の「アンダーグラウンド」の使い方には不満がある。