人生と野生

今朝の散歩では、いつも持ち歩いているカメラがないせいで、非常に落ち着かなかった。旧式の一見一眼レフに見えるPanasonicLUMIXDMC-FZ10。満身創痍、一部機能不全、いつ全機能が停止してもおかしくない状態だが、なんとかまだ保っている。一年前に、体の一部、右腕、右手の延長、第三の眼などと、ちょっと大げさに呼んだことがあったが、今朝それが右手にないときの深い欠落感は尋常ではなかった。もう単なる道具ではないな、と痛感した。

昨日、某所に置き忘れ、今日無事に戻ってきたそのおんぼろの愛機で、今日の「収穫」を二つ撮影した。

近所のコンビニに白ワインを買いにいき、レジに並んだ時に、その安っぽくてレトロなパッケージデザインに惹かれて思わず買い物かごに入れてしまった、「ミルクカステラ バナナ味」。袋を開けた途端にバナナ香料が強烈に鼻を突き、一口頬張ると、昭和30年代後半、小鳩幼稚園もも組の園児だった頃に近所の駄菓子屋に毎日のように通っていたことを思い出した。家族にはあきれられた。

窓枠にカタツムリがくっついていた。なぜか中身は空で殻だけだった。捨てるに忍びなく、とっておくことにした。殻の螺旋(spiral)の造形はいつみても美しい。5月18日に記録したミスジマイマイ(Euhadra peliomphala)の仲間のようだ。撮影のバックは今日届いたばかりでたまたま机上にあったステルンの『雷鳥の森』(みすず書房、2004年)。結構フィットしていると感じた。イタリア語のオリジナルMario Rigoni Stern, IL BOSCO DEGLI UROGALLIは1962年出版である。まだちゃんと読んでいないが、かなり魅力的だ。「人生と野生を考えるみちしるべともなるだろう」という裏表紙の言葉がいい。「人生と野生」。むむ。