数億の目が開く”時”

自分が住む土地の「体」(「記憶」と言ってもいい)を探っていて、札幌市南区「石山」、旧名「穴の沢」の「穴」の記録、痕跡に行き当たった私は実は十数年前に数年間だけ石山に住んだことがある。それ以前はずっと離れた東の方に住んでいた。私は川(水)と石に惹かれて石山にやって来た。止むを得ない事情で現在は石山の隣の地区に住んでいるが、地理的にはすぐ傍である。石山は歩いて行ける距離にある。

かつて住んでいた石山のマンションは豊平川に臨み、背後に札幌軟石採掘場跡、あの「穴」を控えていた。毎朝起きると、目の前には豊平川が流れていた。四季を通じて変化するその景観は私にとってまさに「世界の朝」(ル・クレジオ)だった。

先日、十数年ぶりに、その「穴」を間近に見て、吸い寄せられるように、初めてその「穴」に入った。その前後に流れていた時間は、昨年奄美で体験した時間に酷似していて驚いたのだった。私は自分の体がその土地と不思議な共振を起こして、あたかも「数億の目が開く時」(村松真理)を体験していたかのようだった。「一個の人間のなかに数億の目がある。それが、もしかしたら時間かもしれない……」(吉増剛造)。自分のなかでざわざわと数億の目が開き始めたかのようだった。

そんな私の目に飛び込んで来た動植物があった。

メジロ(目白, Japanese White-eye, Zosterops japonicus)。

そして、カワラハハコ(河原母子, Anaphalis margaritacea var.yedoensis)。