藻岩山を振り返る

札幌、晴。寒い。

藻岩山。手袋なしでは手がかじかむ。立ち枯れたタチアオイやノラニンジン、萎れたコスモスが目につく。抵抗するように花を、色を探すが、クルミの黄葉やナナカマドの橙色の実ばかりが目につく。ホソバウンランは倒れていた。

関口涼子著『グラナダ詩編』(書肆山田, asin:4879957100)56頁の図版「ペソアによって描かれたデッサン。婚約者オフェーリアを会社から家まで送る際、どれだけ遠回りできるかを計算したもの。」(91頁)のことを考えていた。生が刻々と迂回し、遠回りしながら死へと至る過程であるとするならば……。「物語」とは畢竟「迂回」の手段に過ぎないのか。それに、物語には「始め」と「終り」があるが、人生はいつも「始め」も「終り」も不明瞭な「途上」である、等々。

  • 藻岩山を振り返る(21sec.)