夢という記憶


プラタナス(Platanus)の落ち葉。

散歩中、明け方見た夢を思い出した。

いつものように私は大学の駐車場に車を停めて、建物の入口に向かった。その途中にある一面雪に覆われた一角に黒い二つの人影が見えた。目を凝らしてもピンぼけの写真のようで、その二人の人物を識別することはできなかった。入口に近づいたとき、一人がこちらに向かって動き出した。誰だろう?どんどん近づいてくる。黒いコートに見覚えのある帽子。「アッ、メカスだ」と思った、その瞬間、零れるような笑顔と温かい笑い声の主が手を差し延べてきた。「ジョナス?」「イエス、イエス、アッハッハッハ」私は自己紹介しようとしたが、口籠って、言葉が出て来なかった。もうひとつの黒い影の正体は分からない。ずっと俯いていた。

夢はイメージと言葉が複雑に織り合わさったような不思議な記憶のかたちだと思う。それは私に「読み解け」と迫ってくる。不図、メカスが「静止した映画」、"Films immobiles"、"Frozen Film Frames"で模索しようとしたのは、夢という記憶の秘密なのかもしれないと思った。映画と写真の「間」というか、両者が生命を汲み上げてくるのは夢なのかもしれない。夢の成れの果ての現実から再び夢へと帰還する通路が映画や写真なのか。