江戸文字

江戸時代に庶民が親しんでいた書体をできるかぎり知りたいと思っていた。ちょうど府川充男著『組版原論』(asin:4872332725)の第1章のはじめ「タイポグラフィーへの視線」はいわゆる「江戸文字」の話から始まっていた。「江戸文字」といっても、仔細に見れば、場面によって微妙に違う書体が遣い分けられていたことを知った。

芝居には勘亭流であり、落語は寄席文字であり、相撲の番付は相撲文字(中略)もっと付け加えるならば印半纏[しるしばんてん]や纏[まとい]には籠字に似た字とか丸や四角の中に篆書をデザインした角字や丸字、清酒や醤油のラベル、魚河岸のロゴタイプ(?)、あれなんかには虫食い文字や髭文字が遣われることが多い。すなわち特定の場面に特定の文字のスタイルが対応しています。(14頁)

この文体、口調から推察されるように、これは1993年4月阿佐ヶ谷美術専門学校における三年生の学生を対象とした講演が元になっている。二十歳前後の頃にこんな話を聞けた学生たちが羨ましい。

ところで、当時、何でもかでも番付して公開してしまうという現代でも週刊誌等で定番の日本人的な情報デザインが花開いていたらしい。

料理屋の番附、文士の番附、新聞の番附、名所の番附、物の言い換え方の番附書道家番附……(13頁)

中でも驚いたのは、「東京箱入り娘別品揃」*1という東京のいろんな街で評判の小町娘たちの番附だった。


図–五。15頁。書体は行書と草書

これに関して府川氏は「呑気な時代でした」と感想を述べるにとどめているが、たしかに今日なら一種のハラスメントとして断罪されるであろう。それにしても、こうまでして主観的な印象情報が寄せ集められて共同主観的なデータベースとして構築されて公開されていたことに驚く。府川氏は挙げていないが、当時おそらく「東京色男品揃」のごとき番附をはじめ、もっとびっくりものの番附が沢山あったのではないだろかと想像した。

*1:「別品」は「別嬪」の意。ベッピンは関西系の言い方らしい。14頁