客観性とか冗談

私が「日本語発声の師匠」と勝手に呼んでいる「ボサノヴァ日本語化計画」のOTT(あっと)さんが、久しぶりに新訳の音源をアップした。

いつもながら、J-POPをちくりと皮肉るのを忘れないところがいい。曰く、

前からやろうと思っていた「ロボ・ボボ」を訳してみた。
歌詞は特に好きじゃないのだが、こういう客観性とか冗談みたいなものは、
今のJ-POPでは、ほとんど見られなくなっているように思う。
たぶん、受け手が真面目にとってしまうからかもしれない。

いうまでもなく、「客観性とか冗談」とは、情けない自分を愛おしくも突き放し、さらには笑い飛ばすパワー、余裕のこと。まあ、「自己批評性」。

OTT(あっと)さんは、今年に入ってから友人と新宿区舟町にだあしゑんかというチェコ料理・ビール・絵本のお店を開いたこともあって、超多忙だったようだ。

それにしても、なぜブラジルじゃなくて、よりによってチェコなのかという当然の疑問に対しては、粋で「カフカ」な回答がある。

久しぶりに、OTT(あっと)さんの「ブラジルの水彩画」(日本語歌詞MP3)を聴いた。OTT(あっと)さんは、この歌詞の「ブラジル」を「日本」に置き換えられるような日が来ることをひとつの理想として機能させていることは間違いない。そしてそれは悪くないと思う。

いうまでもなく、「ボサノヴァ日本語化計画」とは「日本ブラジル化計画」の一環である*1。参考までに、過去に「ボサノヴァ日本語化計画」に触れながら書いたものを。

ちなみに、この数ヶ月朝仕事に向かう車のなかではずっとボサノヴァばかり流している。どんな気分の時も、ボサノヴァを聴いているうちに、口ずさんでいるうちに、心は躍りはじめ、自分の出す声、日本語の発声が、すこしずつゆっくりになり、柔らかくなっていくのを感じるのだった。一音一音を転がして遊ぶことも覚えた。あれ? 俺、今、ブラジルにいるのかな、と思うこともある。

*1:私見によれば、詩人の吉増剛造と人類学者の今福龍太は一種の「日本ブラジル化計画」を推進中である。