三島由紀夫にまつわる叔父の思い出

mmpoloさんがhayakarさん(id:hayakar)が取り上げたYouTubeの「三島 vs 東大全共闘」の映像を巡って、主に東大全共闘の不甲斐なさについて書いていた。

これを読んで、三島由紀夫にまつわる叔父の記憶が蘇った。

文体と身体を鋼のように鍛え、最期は日本国(民)の脆弱な精神性=身体性を告発しつつ本物の鋼で偽物の鋼に終止符を打った三島由紀夫のことを初めて知ったのは小学生の頃だった。毎年お盆に東京からやってくる叔父がいた。当時S出版社に勤務していて、三島由紀夫の白亜の豪邸に原稿を受け取りに行った時の自慢話をよく聞かされた。叔父は典型的な文学青年だった。彼が高校時代に書いた詩や小説や戯曲の原稿が当時住んでいた祖父母の家の大きな物置の奥に埃を被って大量に残されていた。それらはおおっぴらに語ってはいけない負の遺産のようなものだった。私はときどき祖父母の目を盗んでは物置に入り込んでそれらをドキドキしながら盗み読んでは、「文学」の世界に触れていた。叔父はヘルマン・ヘッセに心酔していた時もあったらしく、それらしき詩篇がたくさんあった。後年父からこんな話を聞いたこともあった。あるとき叔父がヘッセに書いた手紙(何語で書いたのだろう)にヘッセ本人から返事が来たが、そのドイツ語で書かれた手紙が読めずに、知り合いの医者(医者ならドイツ語が読めるだろうと判断したらしい)に翻訳を依頼したものの、どういうわけか、その手紙はその後行方知れずになってしまったという話。私が知る叔父は三島由紀夫のようにいつも身体を鍛えていた。空手もやっていた。その叔父はあるときを境にして私たちの前から姿を消した。