いざ北へ2008その29 お伽噺:爺が何か企んでいる

変な爺(ジジイ)が津軽海峡ブラキストン線の向こう側に座り込んで、なにやらこそこそやっている。ぼそぼそ聞こえる独り言を再現してみれば、こんな感じ。

もう30年前にある一冊の本を読んで知った言葉が、この一週間の間に、とても愛おしくなったそうな。その間ブログだか、ウェブだかで、色んな人の色んな思いの籠められた言葉をシャワーのように浴びている内に、その30年前に読んで知った言葉が突然一瞬キラリと光ったんだそうだ。しかしよく見ると、その言葉は元の姿がはっきりとは見えないほどすっかり埃を被って、萎えているようにさえ見えた。そこで爺は慌ててその言葉を手に取って、埃を払って、首に巻いていた手ぬぐいで丁寧に丁寧に磨いたんだそうだ。そしたら、その言葉はまるで宝石のような輝きを放ち始め、眩しくて眩しくてまともに見ていられないほどになったんだそうだ。これは一人だけで見ていては駄目だ。皆に見てもらわなければ。そう思ったところに、アンタ(誰?)がやって来たというわけさ。

その言葉とはもう半世紀以上も前に人類の知的遺産、記憶の一断片として記録されたこんな言葉だとさ。

考えるな。見よ。(L. W.)

へえー。なんか、分かるような気がするけど、ちゃんと説明してみろって言われたら難しい気がするね。でも、この一週間ブログ、ウェブで真剣に遊んだ人たちにはきっとピンと来るものがあると思うんだ。そう言えば、あの薫ちゃんも似たようなこと言ってたよね。「目に見えるものを見ていてはだめだ、心の声に耳を澄ませば、見えないものが見えるかもしれません。」とかなんとか。全然違うじゃん、て思わないほうがいいよ。だってね、普通見えているものって、結構頭で見てるっていうか、もう少し言うと、その時その人が考えられるものだけ見てるってことでしょ。でも、本当に見るってことは、その時その人が考えられることを遥かに超えるもんなのさ。下手な考え休むに似たり、っていうじゃない。ちょっと意味違うか。でもね、そうだと、つくづく思うんだよね。僕らって考えに騙される、惑わされるってね。だから「ほら吹き」じゃない「嘘つき」が横行するのさ。だから騙されない、かどわかされないためにも、考えを超えて見なきゃいけないんだよ。ただ、ちょっと注意したほうがいいのは、そうやって本気で世界で起こっていることを見ていると、下川さん(id:Emmaus)みたいに、警察に呼び止められ、職務尋問されるかもしれないってこと。それもまた面白いけど、せいぜい気をつけてね。