いざ北へ2008その33 そろそろ話してもいいかな

私がこうしてなりふりかまわず言いたい放題言って、やりたい放題やっていられるのは、中山さん(id:taknakayama)がいるおかげであることはいうまでもない。中山さんがいなければ、私なんぞは、北海道で独りで遠吠えしている狼にすぎない。それもいいかも知れないが。中山さんは想像を絶する多忙の中、優しい声をかけてくれる。三上さん、そんなにリハーサルにはっちゃきになっていたら、本番までもたないよ。そんな中山さんがいるから、私は遠吠えしていられるのである。しかも、中山さんはそんな私の遠吠えを音楽に翻訳までして、京都に運ぶ。その大きく暖かい器のなかで、私は餓鬼をやっている。

そろそろ、書くべき時がやって来たようだ。私と梅田さん(id:umedamochio)の距離について。

世界は何を優先するかによって激変する。学生さんたち、覚えといてよ。私にとって、梅田さんはまだ会ったこともないが、無二の親友という感覚がある。会えば、躊躇なくハグできるだろう。その信頼感は揺るぎない。だから喧嘩も吹っかけられる。信頼できない奴とは喧嘩なんかできない。

梅田さんと私の違いはこの世を生きる上で課せられた宿命のようなベクトルの違いにすぎないと思っている。梅田さんはBからAに向かう。私はAからBに向かう。全体をみれば同じようにも見えるが、よくよく見れば正反対だ。Bとはいわゆる現実である。そこで強調されるのは強靭な「個」である。個の力を十分蓄えた上でAに向かおう。それが梅田さんの流儀である。私はAから出発した人間だ。私にとってはAこそ現実なのである。でも、それは普通の意味ではかなりリスクが高い現実である。だから、学生たちや若い人たちにはBをわきまえろと指導する。自分の本音を抑え込んで。そうして私はAからBに向かう流儀を生きている。

そういう違いをお互いに理解した上でのやりとりが、ブログ上で、あるいはそれこそBで断続的に続けられて来た。

Bを果敢にサバイブしてきた梅田さんの本当の故郷はAにある。そう私は直観している。私はAに座り込みながら、おくればせながらBをサバイブする大切さを学んだ。そこにA=Bじゃないですか、というとんでもない若者(id:simpleA)が出現した。

これがいわゆる「蝶のお伽噺」の裏側である。