いざ北へ2008その36 爺のマイルストーン:メディアXの謎に迫る1

青年は荒野を目指す。
爺も荒野を目指す。

「シュッポロ宣言」にはそう銘記されている。爺の荒野って、一体何? そう、みなさんはお思いのことと推察します。そろそろ白状せい、と。

そこで、ワシは荒野を彷徨って来た己の過去を振り返って、目を凝らしてみた。すると荒野に突き刺さった何本もの恋の矢が見えてくる。墓標のように見えなくもない。まあ、縁起でもない。過去のマイルストーンだ。ワシはそれらを踏み台にしてジャンプ、ジャンプしてきたような気がする。傍からはスキップ程度にしか見えなかったかもしれないが。

そのなかには、今でもこれからも、そしておそらく永遠に爺のマイルストーンでありつづけるのだろうなというものもある。こんな里程標だ。誰が言った言葉かは今となってはもう定かではないし、少なくとも人生トータルの最優先事項でもない。(場合によっては最優先事項になることに注意ですよ、学生の皆さん。)それに、複数の作者がそれこそ全部は辿り切れないくらいのハイパーリンクのように繋がっているような気がする。

人生は一冊の本、人生は一冊のマガジンみたいなものだと思うといいんじゃないかな。
そのとき、自分ってのは、一種の器みたいなものさ。その器をね、望むように満たして行けばいい。

でもね、ひとつだけ忘れないでほしいことがあるんだ。何だか分かるかな。
それはね、自分って器をさ、自分だけで使わないで、他の人にも使ってもらう、明け渡すことなんだ。

どうしてかって言うとね。その方がきっと楽しいからさ。
それにそうして出来上がる本、マガジンも面白くなるからなんだ。

思い切って、試してごらんよ。
僕らはさ、自分という器の中で多くの他人と出会うことができるんだ。
不思議な能力だよね。

でもね、それを活かしてさ、その器のなかで楽しいことをいっぱいやればいいんだよ。
自分内劇場だね。

でも、もっと不思議なことが起こりそうだよね。
そう、そのうち自分なんてどこかへ消えちゃうってことがね。

自分なんて気にならなくなる自分という器。それが現在ウェブ上で毎日刻々と生成し変化し続けている「メディアX」。爺にとって、ブログはそんな「メディアX」のとりあえずのプラットフォームなのかもしれないな。出来はいいとは言えないけどね。中山さん(id:taknakayama)には「サッポロの爺は、ああ見えて、結構見た目にこだわる奴なんだ」と見抜かれたけど、実際はそうでもなくてね、特に最近はコンテンツ命!っていう路線を突っ走ってる感じだね。技術には疎いということもあるけど、待ってられないということもあるしね。コンテンツで行けるところまで行って、アートやデザインはアートやデザイン命!って人たちがいるから、金太郎(id:simpleA)の友達の尾形さんとか、「この人」さんとか、Hさんとかね、安心して彼らに任せられるような気がしている。これはね、リュウちゃん(id:Ryu-Higa)が心配するかもしれない「他力本願」とは違って、なんて言うのか、自分を頑固に守っていないで他人に明け渡すということね。これって、全部自分でやっちゃう、コントロールしようとすることに比べて、じつはかなりの勇気が必要なことなんだよ。

客観的にウェブがどうあり、どうあってほしいかを探りながら、そう、中西さん(id:gitacat)のようにね。そしてもう一方では、ワシが本当に望むことが、ウェブでどう実現されうるか、されえないか、という方向で考えることも大切だと思うんだ。だって、もしウェブ、インターネットがなくなったって、人生は続くわけだからね。その準備もしとかなくちゃね。裏切り者!なんて言わないでね。ウェブに恋していることは間違いないんだから。色んな危険を冒してまでね。

独り言:ところでさ、金太郎のやつは、実はあんまし、ウェブ、ウェブって騒がない、クールなところがあるんだよね。ちょっと美崎さんに似て、見切ってるところがね。あいつはね、口が裂けても「ウェブに恋して」とか「ウェブに夢を」なんて絶対言わないよ。違うとこ見てるんだよね。そこがね、爺としては酔っぱらったついでに脅して吐かせようかと思ってるところなんだ。お前、ホントは何に恋してんだ?ってね。「爺にさ」って答えが返って来たら、どうしようかな。ちょっと焦るかな。「そんな趣味はございません、とか、俺にも選ぶ権利はある」とでも、誤摩化そうかな。通用しないだろうな。よし、ひとつ宿題ができたゾ。それに、万が一、「恋や夢という病には罹りません」なんて生意気な答えが返って来たら、これは殴り合いになるかもね。とっても、楽しみですね。冗談、冗談。