札幌、夏空(→ Mt. Moiwa, August 9th, 2008)。爽やかな風あり。昨夜遅く東京から長女が帰省した。「寒ーい!」を連発していた。朝晩は気温20℃を切るだろうか。昨夜はたしかに肌寒かった。
今朝の散歩では、町内笑顔の配達サービスはほぼ不発に終わった。そもそもまともに人には出会わなかった。残念。こういうこともある。というか、こういうことのほうが多い。人生は花咲か爺のペースだけで進んでいるわけではない、という当たり前の真実をちょっと噛み締める。
しかし、ひとつの大きな目標を再確認することができた。毎朝のように見かける私よりは高齢に見えるご婦人がいる。ひそかに「女王様」と呼んでいる。ただ者ではない。女ランボーのような精悍な容姿である。体脂肪の数値は私を大きく下回るだろう。かなりハードなフィジカル・トレーニングを毎朝こなしている。私が出会うのはいつもきまってちょうどサフラン公園の入り口のシナノキの下を通り過ぎる頃だ。どこからともなく弾丸のように走って来ては、シナノキそばの水飲み場で給水する。風太郎はいつも彼女の次に給水する。すると彼女はそのまたすぐそばの藤棚仕立ての東屋の日陰で、見たことのないダンスのようなクール・ダウンを兼ねたような奇妙な体操を始める。シンプルなリズムに乗って、腰をぐるぐる回したり、左右に振ったりするのだ。その様子を見かけた人は誰でも一瞬目を疑い、目が釘付けになる。な、な、何なんだ? 歴としたトレーニングの一環であるに違いない。普通なら戸外のそれも多くの人目につくような場所では決して行わないような体操である。いつも私は風太郎とそんな体操に勤しむ彼女のすぐ傍を通り過ぎるのだが、彼女は私たちには一顧だにしない。彼女の世界に没頭しているのだ。素晴らしい。いいなあ。こんなぶっ飛んだ人が町内に住んでいるのか。嬉しくなる。私を含めた多くの大人たちがどちらかと云えば不満を鬱積したような冴えない顔をして時間に追われているのに比べて、彼女は颯爽と自分に時間と世界を従わせているかのようだ。女王様のごとくに。昨日から「花咲か爺」に変身した私は、しかし、このまだ慶太には負けるかもしれない笑顔で、彼女を振り向かせ、こちら側の世界に笑顔を喚び出したいという野望に燃えるのであった。こうして、そのうち風太郎を真ん中に彼女と笑顔のスリーショット写真を撮るのが大きな目標として明確に設定されたのであった。
空き地のアメリカオニアザミ(亜米利加鬼薊, Bull thistle/Scottish thistle, Cirsium vulgare Tenore)が笑っているように見えた。
負けじと爺も道のど真ん中で遠く藻岩山をバックに笑顔の練習をした。まだまだぎこちない。思いつきでちょっと加工してみた。