藤原新也『西蔵放浪』の中に、「大変すてきな山の名前」の話が出てくる。赤い旗に生き神様ともども故郷を追われ、まるで「出エジプト記」を彷彿とさせる過酷な放浪を余儀なくされたチベット人の一団にとって天国に通じる霊山の名前をめぐる話である。それは血を連想させる紅の岩山で、正式の名前は「上方神降下の神嶺(ヤルシャンポイハリ)」だが、人々は「ピュツ」と呼ぶ。「ピュツ」は感嘆詞で、日本語の「嗚呼(ああ)」に相当するらしい。「別に深い意味があるわけではなく」、「意味の不明確な山の名」であるとしながらも、藤原新也はそこに<深い意味>を読みとらざるをえなかった。
……しかし、この部落のひとびとのその岩山に対する日常の言動を見聞きしたり、正式名の「上方神降下の神嶺」という言語を聞くにつけ、その「嗚呼」が何を意味するのか、僕は十分にのみこめる。それは神に対する感嘆、その驚き、呼びかけ、そして恐れ、あるいは呼応、歓び、時には怒り、人間の持つすべての感情がそこにはこめられているような気がする。ひとの持つ<根本の声>とでも言うか、岩山の名がそのひとの持つ根本の声そのものであるというのは、ひょっとしたら、これは大変すてきな山の名前だと思うのであった。(376頁〜377頁)
- 作者: 藤原新也
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よく分かる気がする。例えば、私にとって毎朝拝む「藻岩山」という正式の名前を持つ山は、毎朝「ああ」とか「ピュツ」と思わず発してしまいそうになる存在であるからだ。明日から「嗚呼山(ああざん)」とか「ピュツ山」と呼ぶことにしても個人的には何ら差し支えはない。