「そのスジの人に読んでもらえたら、本望だよ」と小坂さんは言った

 
 Mr. K


プラタナスの木の下でひと月ぶりにKさんに出会った。Kさんちのすぐそばである。私はようやく枝葉が伸びてなんとか見られる姿になったプラタナスを見上げてしゃがんで見たり立って見たり、ああでもないこうでもないと写真を撮っていた。気づかないうちに背後からKさんは太い蔦を自ら加工した渋い杖をついてそっと近づいて来たのであった。振り向いたらそこにあご髭の笑顔があった。「三上さん、ボケの実を採って行きなさい」「あ、はあ、どうも」「もう、いつ、落っこちるから分からんよ」「そうですかあ」二人はKさんちの庭に向かう。ボケの実の熟し具合を見ながら、いろいろと世間話をする。そのうち話題は「頓珍館の里」に移った。五右衛門風呂のヌード写真を褒めると、いたく喜んでいた。するとKさんは、実は本を書いたんだと言う。「郷土史ですね」「ああ。ちょっと待って、今持って来るから、謹呈するよ」と言って家の中に消えた。私はKさんちのキッチュな庭で馬やラッコやカメと戯れて待つことにした。Kさんはすぐには家から出てこなかった。先に奥さんが出てきてた。挨拶がてら「ご主人が書かれた本のことで、待たせてもらっています」と言うと、「あら、まあ」と言って豪快に笑いながら、そのまま出かけて行った。


これがその本である。小坂晋吾著『豊平峡やまびこの里------定山渓七区入植100年記念郷土史』(平成15年[2003])。Kさんこと小坂さんは本だけでなく、地方紙「北海タイムス」に取材されたときの記事など数種の資料も一緒に持って来て見せてくれた。名前はもちろん、なんと、あの五右衛門風呂のヌード写真も、すでに公開ずみだった。本書には、小坂さんが生まれ育った豊平峡の祖父母の代の入植、開拓の歴史、自然の破壊と保護の観点から見た現状、そして将来への展望までが、多くの在住者への聞き取り調査や多くの資料調査に基づいて、丁寧に書かれている。貴重な古い写真も多数掲載されている。「そのスジの人に読んでもらえたら、本望だよ」そう言って小坂さんはちょっと照れくさそうに笑った。私も「そのスジ」の意味がよく分からないまま笑った。ボケの実は大半がまだ半分青かった。本と一緒に写っている実は試しに一個もいでみたものである。

小坂さんは本書の「はじめに」でこう書いている。

 私は、この定山渓七区で生まれ育ちました。そして今、40有余年ぶりに荒れ果てた土地に帰ってきて、せめて昔の田畑の道を自由に歩き回りたいと思い、笹や灌木を刈り始めたのです。

 その大変なこと。やっと拓かれた道を歩きながら、つくづく祖父母が原始のこの地に入植した明治の末の開墾とは、どんな生活だったのだろうか、と思うようになりました。

 寒い日、暑い日、どんな思いで大木を伐り、笹を刈り、畑を耕したのだろうか。

 祖父母はどのようにして、炊事洗濯をしながら7人、8人もの子供を育てたのだろうか。

 買物や通院はどうしたのだろうかと日に日に思いが募り、いつしか子供の頃遊んだ森林鉄道の線路や、発電所の水路がいつ、どのようにして出来たのだろうかと思うようになりました。

 更には、隣のオジイチャンやオバアチャンはどんな人だったのだろうと、人々に聞くようになりました。

 そしていつのまにか、本(資料)が集まり、メモが増えてきました。

 この度、これらの資料を整理して、この地に入植して100年目の平成15年には、本として残したく思い立ち、つなたい文を書き始めたのです。


本書はすでに多くのお孫さんたちから「オジイチャン」と慕われる年齢になった小坂さんが、このようにして、ご本人の記憶の彼方にある、祖父母や隣のオジイチャン、オバアチャンの生活を知ろうとして知り得たことの貴重な記録である。私たちは自分の与り知らぬ過去の上に立っている。それは記憶の彼方にあって、しかしそれを知ろうとすれば、ある程度は知ることができる。そうして知り得たことは自分の足元をいろいろな面から直視することに役立つだろう。

小坂さん、ありがとうございました。じっくり読ませていただきます。


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