病み上がりの日記


夢現

体がだんだん重たくなり、言うことを聞かなくなっていくにつれて意識はどんどん内向して行く。そしてしだいに外界をシャットアウトし、ついにはシャットダウンする。夢現(ゆめうつつ)の状態のなかフジモトマサルのマンガがまた読みたくなって数冊読んでしまった。記憶の強引な編集によって生と死、この世とあの世の境界を往来する主人公日菜子の「二週間の体験」を非常に巧みに描いたフジモトマサルの『二週間の休暇』(講談社, asin:4062140659)のなかにフクロウのおっちゃんがやっている「ニライ書房」という本屋が出てくる。ちなみに、日菜子が迷い込む「あの世」はある意味でヒッチコックの『鳥』よりもホラーな世界であり、住人はすべて飛ぶことを忘れた、飛ぶ必要のない鳥たちである。ニライ書房に置かれている本はすべて店主のフクロウのおっちゃんが書いた変な題名の本ばかりだ。日菜子がそんな本のなかで『給水塔占い』と『月刊わが町 散歩道徹底紹介』に目を留める件が興味深かった。前者では、ベルント&ヒラのベッヒャー夫妻の撮影による「給水塔」の写真集を連想した。後者では、ああこんなところに同志が存在したのか!とおかしな感動を味わい、しかもそれがフリーペーパーである点にはたと膝を打つ思いがした。蛇足ながら、この本を読みながらルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』が勝手に彷彿として甦ってもいた。


参照

2五十雀

軽くなった体の動きを隅々まで確かめるようにゆっくりゆっくり歩く。落ち葉が少し目についた程度で台風の大きな影響は見られない。チョウセンゴミシで有名な向平さんちの林檎の実も一個も落ちなかったそうだ。腰の調子がやっぱりよくないという強面の塚本さんは落ち葉が少なくて助かったとほっとした様子だった。原生林の管理人苅谷さんは不在だったが、苅谷さんが来春を見越してすでに耕した畑の土を眺めているとき、背後で木を小刻みに啄く小さな音がした。振り返るとゴジュウカラがいた。武田さんち経由で帰宅する。


ヒメビジョザクラ(姫美女桜, Verbena tenera



更地。アパート群の面影を探す。



ムラサキシキブ紫式部, Japanese Beautyberry, Callicarpa japonica



ケヤキ(欅, Zelkova tree, Zelkova serrata



ゴジュウカラ(五十雀, Eurasian nuthatch or Wood nuthatch, Sitta europaea



3武田さんの深い思い

T's Galleryで有名な武田さんちに近づくと、ちょうどオーナーの武田さんが家から出てきたので、挨拶して世間話をしているうちに、家を護るようにして置かれた膨大な数のオブジェの由来など、貴重なお話を色々とうかがうことができた。何と言っても、武田さんは変な人だ。愉快で痛快で破格。命知らずの冒険家と思いきや非常に繊細な感性をも兼ね備えた人である。渓流釣りが好きな武田さんは、ヒグマの生態を知り尽くしているとはいえ、鉢合わせたら命を落とすのは覚悟の上でヒグマの生息地のど真ん中に分け入る。そういう場所で目をみはる自然のオブジェを発見することが多いらしい。その一方で、武田さんは動植物と非常に深い会話を交わしている。育てている植物や飼っている動物を自分の子のように可愛がるのはありふれた話だが、武田さんの動植物とのコミュニケーションはそういうレベルではない。武田さんは自らの死後、そして彼らの死後をも視野に入れた長い会話を彼らとしょっちゅう交わしているのである。ペンギンがプールで遊んでいるように見えるオブジェの写真をご覧いただきたい。ピンぼけだが、手前にバッタが写っていることにお気づきだろうか。生きているように見える本物のバッタの亡骸である。以前はバッタはいなかった。このバッタは? と質問しかけたら、武田さんはすかさずこう語ってくれた。そのバッタはある日気づいたら、愛車の中にいたんだという。ドアを開け放っても逃げなかった。すでに弱っていたのかもしれない。それなら、捕まえて外の緑の中に逃がしてやるのが普通人がとる行動である。だが、武田さんはある直観に導かれるようにして、バッタにこう語りかけた。お前の命はもう長くはない。どうだ? ここは暖かいし、ここで最後の時を過ごさないか。バッタは嬉しそうに頷いたのかもしれない。数日間、武田さんは車内でモソモソ動きまわり、たまにピョンと跳ねるバッタと一緒に過ごしたんだという。そしてついに命果てたバッタの体を一番相応しいと思える場所に飾るように葬った。しかもそのそばにはドングリの実がさりげなく添えられていた。心憎い配慮である。同じような経緯で、武田さんの部屋には蝉が数匹眠っているという。植木に関して驚くべき話を聞いた。私が勝手に「T's Gallery」と呼んできた武田さんちの庭には草木も沢山植えられているのだが、どうも他所の庭とは異質な印象を受けてきた。今までは植物以外のオブジェに目を奪われて植物たちの扱われ方をちゃんと見ていないことに気づかされた。実は武田さんの深い思いは数々のオブジェ以上に植物たちに注がれていることに気づき、新鮮な驚きを覚えた。武田さんはすべての草木をいざとなったらいつでもどこにでも移動できるように決して敷地内の土地には植えずに、多種多様なオブジェとも言える鉢や手作りの木箱に植えている。いわば盆栽の思想+死後の思想を庭全体に拡張しているのだった。中にはヒグマに遭遇しても不思議ではない山中で自ら掘り出したという軟石(よく見る軽石ではない)に根付けしたものもある。そして、冬の間も特別な冬囲いはしない。木箱を藁や布で覆う程度である。北海道では普通考えられないことだ。それでもひとつも枯れることなく毎年元気に葉をつけ花をつける。近所の人たちも驚くらしい。自慢のライラックの低木もそうやって木箱の中でサバイバルし、毎年珍しい色の花を咲かせ、いい香りを放つという。それらの鉢や木箱はそもそも家の外壁に触れんばかりの場所、つまり家の暖気が少しでも伝わる場所に置かれていることも見逃せないのではあるが、そのような配慮と同時に武田さんは草木たちにことあるごとに手を触れながら、例えば、こんな狭い場所でスマンが、いつ死ぬから分からないオレとしばらくこうして一緒に生きてくれないか、などと色んなことを話しかけているのである。そんな言葉に植物たちはちゃんと応えてくれるんだ、という武田さんの言葉がとても印象的だった。膨大な数のオブジェに関しては、武田さん自身は「ガラクタ」と称しているが、ひとつひとつに語れば長くなる物語が秘められている。家族や友人や知り合いの思い出の品も少なくない。写真にあるきれいにペイントされた懐かしい集乳缶など道内各地の離農家を人伝に訪ねては譲ってもらったという品も多い。それらすべてが武田さんの人生のかけがえのない記録であり記憶の引き金でもあるわけだ。しかも盗まれるのを覚悟の上ですべてが家の外に飾られているのである。武田さんのT's Galleryは真の意味で社会に開かれている。物は盗めても心は盗まれない、というより、一緒に心も盗んでもらえれば有り難いという突き抜けた心境にあるのだろう。愛車の黄色いカブトムシは三台目。まだ新車だと思っていたら、もう十年目で、走行距離は17万キロを超えるという。この車だけでもう地球を四周以上したことになるよ、と言って武田さんは笑った。そこで記念撮影。










今回写真におさめたオブジェの中で新入りの「コマイヌ(狛犬, シーサー, 石獅子, Imperial or Chinese guardian lion)」が一際目を惹いた。武田さんは遥か古代エジプトやオリエントにまで想像力の線をのばしていることが感じられる。しかもコマイヌが守護している丸石もまた意味深長であり、民俗学者中沢厚のいう「丸石神」を彷彿とさせ、かつ円柱石の組み合わせは古代以来の子孫繁栄のシンボルが意識されているような気がする。


参照

プラタナスの果実


やまばと公園でプラタナス(紅葉葉鈴懸の木, London plane or Sycamore, Platanus acerifolia)の枝の剪定作業が行われていた。例によって強すぎる剪定である。またか、と思いながら近寄ると果実が地面に転がっているのが目にとまった。作業中のおっちゃんに声をかけて、果実を数個拾わせてもらった。できれば枝葉付きのが欲しいと思って、しつこく探していたら、危険だ、作業の邪魔だ、と叱られた。叱られると若返ったようで気分がよく、嬉しくなる。一番大きな枝葉付きの収穫物を武田さんに届けた。喜んでくれた。どこにどんな風にアレンジされていることやら。見るのが楽しみだ。



プラタナス(紅葉葉鈴懸の木, London plane or Sycamore, Platanus acerifolia)の果実