父の七回忌の法要で帰郷した折に、若かりし頃の父と母の縁(ゆかり)の地のひとつ、電信浜を訪ねた。
防波堤が景観を損ねていたが、自然の海岸線は残っていて、小さな入江、浦には昔の時間が流れているように感じた。内陸が人の手によってどんなに変化しても、海は変らない、と書いたのは水上勉だった。その変らない海が人間の深い尺度になることがあると。
「電信浜」という変った名前の由来をはじめて知った。
電信浜の地名は昔「ポンモイ」(小さい湾)と呼ばれていたが、明治24年に逓信省がムロランと対岸の砂原間の海底電線をこの浜から敷いたことから、この名が付いた。(eものづくりのまち[ 観光コース ] 電信浜)
並木凡平という歌人が次のような電信浜の歌を詠んだことをはじめて知った。
ここだけは鉄の吃りも聞えない 電信浜のなみのささやき(スワン社資料室)
電信浜の近くでは海を望む断崖の上に建つ打捨てられたままの神社が目をひいた。