旅の話

礼文島から流れて来た中野のおばあさんは私に写真を撮られることを未だに警戒している。その日の朝も中野さんはいつものようにサフラン公園の奥の東屋で一服していた。私はナナカマドの紅葉やイチョウの黄葉を撮りながら、東屋に近づいて行った。私に気づいた中野さんがちょっと身構えるのが判る。今朝は暖かいですね。そうだね。私はカメラの電源を切って、中野さんの隣に座り、カメラを横に置く。中野さんと話している間、カメラには触れない。毎日撮ってるんだね。はい。ナナカマド、赤くなってきたね。イチョウも綺麗な黄色になったね。中野さんの方からそうやって話題を振ってくれるのは嬉しい。私の方からは雪虫が増えてきた話、苅谷さんが入院した話をする。そして、中野さんは旅はしないの? と訊いてみた。しない、と一言。中野さんはこの土地にやってきて三十年以上経つ。その間旅行なんてしたことはないという。思わず、毎日ここにやって来るのが旅みたいなもんだね、と言うと、そうだ、と言って笑った。ポケットに忍ばせてあった真っ赤なホオズキの実を取り出して、中野さんに手渡した。中野さんの目が輝いた。これは、、、に効くんだよ、と言って中野さんはいつも持ち歩いている大きめの茶色の布のポシェットにホオズキの実を大事そうにしまった。いつになったら、中野さんの笑顔を撮ることができるだろう。