魯迅の情動


酒楼にて/非攻 (光文社古典新訳文庫)

酒楼にて/非攻 (光文社古典新訳文庫)


魯迅の「酒楼にて」の冒頭近くに、真冬の雪の中で濃い緑の葉を茂らせ赤い花を咲かせる椿の「怒りと傲慢さ」を語る非常に印象的な場面がある。


「僕」は北から東南に向けての旅の途次、回り道をして故郷を訪ねてから、かつて一年間学校の教員をしたことがあったS市に立ち寄った。その町で泊まった洛思(ルオスー)旅館では食事が出ないので、小雪が舞いはじめた夕方、旅館のそばの昔馴染みの小さな酒楼、一石居(イーシーチュイ)に向かった。「僕」は、酒楼の二階で、「紹興酒を一斤[約三合]、料理はね、揚げ豆腐を十、辛子味噌を多めに付けてね!」と注文した後、窓際のテーブルに着いて、下のかつてしばしば眺めたはずの荒れた庭を見下ろしていた。

しかし北方に慣れた目で見ると、驚くに値し、数珠の老梅が雪に抗して満開、真冬の寒さなど少しも意に介さぬようすで、崩れた東屋の近くには椿が一株有り、濃い緑の生い茂った葉の間からは十幾つもの赤い花が顔を出し、カッカと雪の中で明るく火のように燃えており、その怒りと傲慢さは、旅の呑気な回り道を軽蔑しているかのようだった。僕はこのときふとこう考えた。ここの潤いのある積もる雪は、物についたら離れず、透明でキラキラ光り、北の雪のように乾いて、大風がひとたび吹くや、空一面に霧のように舞い上がったりはしない・・・(57頁)


椿の「怒りと傲慢さ」や「軽蔑」を語る魯迅の激しい感情、情動は普通ではない。情動は内面の発露であるという考えに私は囚われがちだが、むしろ、情動は内面を破壊するように外部からやってきて私を貫くのだということに気づかせられる。「椿」だけでなく、「老梅」も、「潤いのある積もる雪」も、「北の雪」も、「僕」である、と。