藻岩神社の前で菱(ひし)さんに会う。アイスキャンドル祭で急速に親しくなった人だ。これから老人倶楽部の会議に出席するという。神社の社務所が町内会館を兼ねている。しばし世間話をする。「菱さん、ずっと札幌ですか?」「ああ、そうだよ。でも、二十代の頃は幌加内(ほろかない)にいた」「幌加内って、あの蕎麦で有名な?」「そうだ。でも、当時は蕎麦はなかった。芋だよ。デンプン工場がいっぱいあってな。そこで働いてたんだ」「そうでしたか。菱さん、菱って珍しい苗字だけど、ご先祖はどちらなんですか?」「以前、ルーツを調べたんだが、富山だ。行ったことはないがな」「へえー、富山でしたか。昨年暮れに知り合いを訪ねて行ってきましたよ。近所に郷土史に詳しい小坂さんという方がいらっしゃって、小坂さんによれば、町内には小坂さんのご先祖もそうなんですが、富山がルーツの方が多いそうですよ」「そうかい。札幌ではな、「菱」という姓は、ウチの他にはもう一家しかないらしい。昔な、丸井デパートのエレベーターに乗ったときに、エレベーター・ガールの名札を見たら、「菱」とあってな、免許証を見せて、オレも菱だって、お互い、滅多に見ない名前だから、奇遇だなあ、って、喜んだんだ。なんだか、嬉しかったよ。美人でスタイルのいい娘でなあ。あっはっは」「そーですかあ。それはいい話だなあ」「でも、珍しい苗字だけに、悪いことはできん。すぐに俺だってばれるよ。あっはっは」
サフラン公園の雪だるま2号、形が崩れるも、健在。
雪だるま3号。頭部が見当たらない。気温が上がって雪が融けかかって固まりやすかったので、意を決して、頭部を作る。
東屋の傍に、比較的大きな三体の胴体部分を発見する。意を決して、頭部を作る。
2号から9号までの8体の雪だるまを一望する。まだまだ壮観とはいえないが、まあまあ。パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ。
調子に乗って、自宅玄関前に、この冬はじめて、雪だるまを作る。犬のふぐりのようなプラタナスの果実、オオウバユリ、蔦を飾り付ける。蔦は世界変動の兆候をキャッチするためのアンテナ。
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ちなみに、雪だるまを作りながら、ブルース・チャトウィンがヒマラヤでその足跡らしきものを見たという雪男、イエティの話を思い出していた。もちろん彼はナイーブな実在論者でも神秘主義者でもなかったし、異文化の想像力の産物を頭から否定する性急さからも自由だった。チャトウィンは「雪男、イエティについては、実在の動物と想像の産物の狭間にある、ぼんやりとした領域を直に探ってみたかった」と語り、現地での見聞を終えた時点では、結局のところ、イエティは「集団的無意識の産物」、「ある種の神」に違いないと結論した。ただし、ヒマラヤの空気の薄い高所では人は下界では決して見えないものを見るということを指摘することを忘れなかった。
ゴーキョでキャンプを張り、午後ゴーキョ・リの頂上まで登った。一万八千フィート(約5500メートル)の頂上で、薄い空気に喘ぎながら私は背を石のケルンにもたせかけた。風がタルチョを切り裂いている。私はぼんやりと、青く白い山々の頂の連なりを眺めた。チョー・オユー、エベレスト、ローツェ、ヌプツェ、そしてはるか東側にはマカルーの尖った峰が見えた。
空は雲一つなく、インドから灰色の水蒸気が谷を上ってきていた。そして、その上、反対の方角には、いくつかの積雲のきれはしがチベットから流れていた。シャングリ・ラ峠からギュバナナレ氷河が蛇行しながら下りてくるのが見えた。突然、このきらめく空気の中では、神秘主義者の書いたシャングリ・ラ、つねに北のどこかにあり、家々には金の瓦がふかれ、川床には宝石がきらめくという永遠の若さの谷を「見る」ことなど、どれほど容易なことなのか、理解した。「雪男の足跡」(1983年)、『どうして僕はこんなところに』(asin:4047913243)305頁