catastrophe


「何撮って歩いてるの?」「キレイどころを」「何言ってんだよ」と照れる斉藤さん。



「久し振りだな」「はい、最近遠くに脚を伸ばしてるもんですから」「そうか」と氷割りの手を休めない小森さん。



冬を越した薔薇



太助(たすけ)、6歳


***


巨大津波が瞬時にもたらした目に見える破局放射能汚染がじわじわともたらす目に見えない破局。そして心の破局

何かが起きた時に、人は変わるよりも、元に戻そうとする。しかし、一度変わってしまった世界は元には戻らない。ちゃんと覚悟を決めて、早めに決断することの重要性…(坂口恭平、2011年3月21日


逃げたければ逃げればいいし、留まりたければ留まればいい。赴きたければ赴けばいい。守りたいものが違えば、行動も異なる。当たり前。ただそれだけのこと。

 私はある予兆を感じるともなく感じている。未来永劫不変とも思われた日本の飽食状況に浮かんでは消える、灰色の、まだ曖昧で小さな影。それが、いつか遠い先に、ひょっとしたら「飢渇」という、不吉な輪郭を取って黒ずみ広がっていくかもしれない予兆だ。たらふく食えたのが、食えなくなるという逆説、しっぺ返し。いま、そのかすかな気配はないだろうか。途方もない悲観にすぎないかどうか。確かめようもなく、ただ曖昧な灰色の影を胸に帯びて、私はこの国をあとにする。

 辺見庸『もの食う人びと』(共同通信社、1994年)