現状認識のために5:現場への想像力

「想定外」と「ただちに健康に影響せず」という責任逃れのための放射性物質のごとき言葉を、東電と官僚と政府と御用学者たち(?)とマスコミはいまだに垂れ流しつづけている。「想定外」とは国民の安全のことなど最優先ではないという意味であり、「ただちに健康に影響せず」とは「いずれ健康を害する恐れがある(が、いいじゃないか)」という意味に他ならない。許し難く無責任な言い回しだが、そういう無責任がはびこる体制に半ば加担してきたきたわたしたち自身が猛省を迫られているのだとも言えるだろう。これ以上の非常事態はありえないという時に、脳天気に告示された統一地方選の知事選で、原発を推進する知事を選ぶということは、自分自身や自分の家族を福島第一原発のような現場に赴かせることになってもいいじゃないかと思っているか、そもそも何も考えていないか、どちらかだろう。

日本の法律も、世界の法律もそうですけれど、放射線被爆するということは、あらゆる場合に危険なことであるということを大前提にしているわけですね。だから労働者の場合は1年間にこれ以上浴びてはいけないという基準を決めているわけで、一般人も基準を決めているわけです。一般人が浴びてはいけないというのは、1年間に1ミリシーベルトという値なんです。それがすでに100ミリシーベルトを超えてしまっているというのは、とてつもないことが起きていると考えないといけない。「直ちに、なんとか」と言っている場合ではないと私は思います。

 小出裕章氏(京大原子炉)の談話、全文聞き起こし(3月23日毎日放送ラジオ・たねまきジャーナル)

 極端なシナリオを二つ考えているんですけど、ひとつはほとんど知識のない人が現場に行ったということ。その場合にはアラームメーターが何であるかすら知らない。それで行って知らないまま水に入っても大した危険もないと思ってそこで作業したという極端なシナリオがひとつのシナリオですね。もうひとつのシナリオは十分に知っていたというシナリオです。アラームメーターが鳴ってその意味も知っていたと。でも自分たちの仕事をしなければ、今の危機を救う事ができないと。だから、行ってみれば水があることがわかるわけですよね。自分が履いているものが長靴でないこともわかる。でもたぶんそこまで彼らは何百メートルも走ってきているのです。暗い中懐中電灯をもって彼らは走ってるんだと思うんです。そこに着いたんです。何か仕事をしなければ今の危機を乗り越えられないと思ったときに、この水は汚れてると知りながら入ったという人はいると思います。

 小出裕章氏(京大原子炉)の談話、全文聞き起こし(3月25日毎日放送ラジオ・たねまきジャーナル)


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