スペインの二人のアーティスト、フランチェスコ・サンチェス(Francisco Sánchez)とナターシャ・ブストス(Natacha Bustos)によるマンガ『チェルノブイリ』(Chernóbil. La Zone, 2011)が管啓次郎さんの訳によって日本で出版された。発行の日付は東京電力福島第一原発事故からちょうど一年経つ頃を見計らったように、2012年3月1日である。「チェルノブイリの経験から、われわれは何も学ばなかったのだ」(191頁)と書き記した管啓次郎さんは、東京電力福島第一原発事故からわれわれは何も学ばなかったことになりかねないことを危惧したに違いない。
チェルノブイリの原発事故(1986年4月26日)は四半世紀たった今も終わっていないどころか、まだ始まったばかりだということは、数万年続く放射能汚染を考えれば、いや、完全に無人の廃墟となった死の街プリピャチの現在の光景を一目見るだけで、明らかだ。サンチェスとブストスは、原発事故によって多くを失い翻弄される人々の姿を淡々と描く。何か特別なメッセージが表明されるわけではない。しかし、原発事故が、いや、事故を起こさなくとも、そもそも原発は人の心を深いところで蝕み、破壊し続けてきたことに気づかないわけにはいかない。
本書の「付録」には、同じスペインの写真家ルルデス・セガデ(Lourdes Segade)によるチェルノブイリのフォト・ルポルタージュから5枚の写真と「死の彼方から叫び声をあげる命」と題した文章も収められている。その写真のうちの一枚に衝撃を受けた。プリピャチの、原発事故によって結局はいちどもオープンされずじまいだった遊園地の観覧車を低い位置からベンチ越しに撮影したもので、永遠に失われてしまった記憶の風景のように感じられて切ない。この写真を含めたチェルノブイリをはじめとするセガデの写真ルポルタージュの仕事を彼女のウェブサイトで見ることができる。