アジェの肖像


ベレニス・アボット(Berenice Abbott, 1898–1991)によるウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugène Atget, 1857–1927)死の年のポートレイト。左はジョン・シャーカウスキー編『ウジェーヌ・アジェ写真集』(岩波書店、2004年)、右は『アッジェ 巴黎』(リブロポート、1993年)から。あまりにかけ離れた印象を与える二枚。アボットはアジェが日々衰えてゆく様子に敏感だったに違いない。



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アジェはマン・レイ(Man Ray, 1890–1976)を介してアボットと知り合った。

生涯の終わり近くに、同じカンパーニュ=プルミエ通りに住むマン・レイと知り合い、彼を通じて、パリへ彫刻を学ぼうとやって来ながらマン・レイの弟子兼愛人になっていた若きアメリカ人女性、ベレニス・アボットと知り合った。疑いなく、彼女はアッジェという人物を認め(彼女のバック通りのアトリエでアッジェの素晴らしいポートレイトを撮っている)、作品の重要さを評価した最初のひとたちの一人だ。

 ロール・ボーモン=マーエによる「序文」から、『アッジェ 巴黎』リブロポート、1993年、11頁



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アジェの写真を見ていると、たしかに、アジェの被写体への向き合い方の根底にはあらゆる経験ははかなく、この世は絶えず変化するという認識があったというシャーカウスキーの意見は頷ける。

…アジェについて言えば、芸術の原理ないし芸術的感受性によっているとは思われない。ただ、カメラの前にあるものを、それがどんなものかをクリアに正確に写しとろうとしているだけのように思われる。ただ、目の前にあるものは、確実で客観的なものとは思われず、不確かで、暫定的相対的なもので、絶えず新しいなにかが生まれ出る可能性を持っているもののようだ。アジェの最もよく考え抜かれた画像においてでさえ、その見た目の完璧さは、ひとつの経験が、ダンサーが跳躍の頂点で静止する瞬間のように、はかないものだということを示している。
 モティーフがつねに更新されるものだということが分かっていながら、アジェを繰り返し同じモティーフに立ち返らせたものこそ、この世は絶えず変化するという認識だった。この世が己れの姿を変えていることに敏感でいられたならば、アジェは、自分の想像力でこの世を改変させる必要はなかった。

 ジョン・シャーカウスキーによる「序文」、ジョン・シャーカウスキー編『ウジェーヌ・アジェ写真集』岩波書店、2004年、16頁〜17頁


そして変化する世界のなかで老いて死に近づいてゆく自分の変化をアボットに撮らせることによって、アジェは自己像を「古きパリ」の群像の片隅にひそかに埋葬しようとしたのかもしれない。