樽前山(1041m)。道央自動車道、樽前サービスエリア(苫小牧市錦町)から。
樽前山 たるまえざん
何度も爆発して周辺に火山灰を降らせ、今も噴煙を挙げているこの山は印象的である。東蝦夷日誌は「谷文晃名山図絵に玳瑁陟(たいまいのぼり)とする是也」と書いた。アイヌ時代には、その下の川名、地名で山岳の名を呼んだことが多い。これはタルマイ・ヌプリ(樽前の・山)の訛りであったろう。
旧記にオフイノボリの名も書かれた。これはウフイ・ヌプリ(uhui-nupuri 燃える・山)の意。苫小牧の扇谷昌康氏から、古老たちがパリルシベと呼んでいたことを教わった。パーリル・ウシ・ペ(parir-ush-pe 湯気が・たっている・者)と解される。白煙の挙がっている姿が目に浮かぶ名であった。
「玳瑁陟(たいまいのぼり)」?
(前略)一方、そのころの樽前山の様子を描いたものに谷文晁(たにぶんちょう)の「日本名山図會」がある。支笏湖のほとりにそびえる樽前山は活火山なので、支笏湖まで足を踏み入れない旅人にも目に触れやすい風景だったのだろう。江戸時代後期に出版されたこの「名山図會」にも、樽前山が「玳瑁渉」(タイマイヌプリ)として記されている。樽前山はアイヌ語でタイマイと聞こえたので、亀の「べっこう」を意味する玳瑁の字が使われた。渉は本来は陟(のぼる)でアイヌ語のヌプリ(山)にあてたものであろう。
支笏湖の歴史(支笏湖温泉旅館組合)より
なるほど。