百鬼園随筆 (新潮文庫)、カバー装画は芥川龍之介「百閒先生邂逅百閒先生図」
内田百閒は言葉という糸で、風船のように逃げてしまいそうな世界をつなぎとめようとした。例えば、目の見えない菊山さんが感じている世界を。
百鬼園氏が盲目の菊山さんの手をひいてぶらぶら町を歩いているときの一場面がとてもいい。
道端に護謨(ごむ)風船を売る婆(ばあ)さんがいた。二人が丁度その前を通りかかった時、並べてある風船玉の中の、どれか一つが破れて、ぱんと云う音がしたので、菊山さんが吃驚(びっくり)して
「何です。あの音は」
「護謨風船が破裂したのです」
「そうですか。しかし護謨風船とはどんなものです。私はまだ知らない」
「護謨の嚢(ふくろ)の中に、水素瓦斯(がす)か何かを入れて、ふくらました物です。子供の玩具(おもちゃ)ですよ」
「そうですか。しかしどこが面白いのです」
「どこが面白いかって、困りますね。人間は丸いものが好きですよ。それに空気よりも軽くて上に上がるから、何となく逃げそうで、そこが面白いのかも知れない」
「空気より軽いと。不思議なものですね。飛んでしまやしませんか」
「だから逃げない様に糸に括(くく)っておくのです」
「糸で括っておく。そうですか。面白そうですね。一つ買って下さいませんか」
「風船を買うんですか。どうするのです」
「持ってみたいのです」
そう云って、菊山さんは立ち止まった。百鬼園氏は菊山さんを引張って、五六歩後戻りして大きな風船玉を一つ買った。婆さんは、吃驚した様な顔をして、二人を見比べていた。
菊山さんは、風船玉をつるつる撫(な)で廻した上、杖をさげている方の手の指に糸を巻きつけて、にこにこしながら、また百鬼園氏と並んで歩き出した。
「大分引張りますね。逃げようとしているらしい。離したら大変だ」
内田百閒『百鬼園随筆』より
百鬼園氏と菊山さんの間の言葉を介した心のやりとりが、逃げようとする風船を糸を介して指先で宙に浮かぶようにつなぎ止めているときの指先と風船の間の力の微妙なやりとりに重なって、風船を子どものように持つ菊山さんがまるで百鬼園氏にとっては風船のような存在に思えて来る。内田百閒は、菊山さんが何かのはずみで風船を手離してしまった瞬間やその後のことは書かなかった。そこまで書かなくとも逃げてしまいそうな大事なものの意義は十分に伝わる書き方をしたという自負が恐らくはあったのだろう。丸くて軽くて何となく逃げそうな風船は何気なく色々と大切なものにも似ている。