近所の古いアパート群の解体作業が始まって一週間経った。今朝、全部で四棟あるうちの一棟が姿を消していた。見慣れた景色にぽっかりと穴が開いたようだ。その棟が建っていた場所には大型のショベルカーが入り込み、堆積した建物の残骸を掻き集めては長い首を回して運搬用のトラックに積み込んでいた。各棟の屋内から運び出された家財道具や子供用の自転車などが粗大ごみとして一か所に乱雑に積み重ねられていた。そこからはまだ生活の匂いが立ちのぼってくるようで生々しかった。年々空き室が増え、去年の秋には、そのアパート群の住人は顔見知りの二人のおばあさんとまともに顔を見たことのない一家族だけになっていた。そのうちいつの間にか一人のおばあさんの姿が見えなくなった。極端に犬嫌いのおばあさんだった。風太郎に出会うたびに怯えていた。風太郎が死んでからも何となく私を避けているようで、まともに言葉を交わすことはなかった。根雪になり、年が明けて、気づいたら、誰もいなくなった。もう一人のおばあさんはアパート群の敷地内で花と野菜の世話をしているのをよく見かけた。ある秋晴れの朝、そのおばあさんは胡桃の木のある坂道でたくさん生っている実を見上げて写真を撮っていた私に声をかけてきた。「何かあるの?」「胡桃の実ですよ。ほら、あんなにたくさん生っているでしょう」「あらま」毎日のように上り下りしているのに気づかなかったと言って、おばあさんは日傘を後ろにそらして胡桃の実を見上げながら嬉しそうに笑っていた。それ以来、遠くから見かけることはあっても、話す機会は二度と訪れなかった。その後、その鬼胡桃の木は無惨に刈られてしまったのだった。ショベルカーが残骸をかき集める音と長い首を上下左右に振る動きに、おばあさんたちの思い出も掻き消されていくようだった。