遠くて近い対話


S:最近、写真に対する立ち位置が変わった?何か心境の変化があるような気がするんだけど。気のせいかも。それはそうと、俺はこのごろは、全然写真を写す気にはならないんだ。

M:変わったかな。自分ではよくわからないな。どんなところが変わったと感じたのかな。以前にくらべて、写真を撮る時間が激減したのは確かだけど。ところで、最近中古のおんぼろのコンタックスを手に入れてさ、なんとか使えそうな代物なんだ。近いうちにレンズも手に入れて、フィルムで撮影するつもり。

S:以前は、どことなく、撮るという切迫感があったような気がするな。最近の写真は、良い意味で写真に余裕があるような感じがする。気のせいかもしれないけど。それで心境の変化でもあったのかと聞いたのさ。おれ自身は、最近は追ったり追われたりという緊張はあまり好きじゃないけど、今ここで撮りたいとか、今ここで唄いたいとかいう、今ここで伝えたいという切々とした思いが、ある種の懐かしさそのものに出会えたらどんなに良いだろうとは思うね。ないものねだりかな。

M:たしかに、以前は撮るために散歩しているようなところがあったけど、最近は散歩の途中で、撮っても撮らなくてもいい、もっと見ていたいけど、やむなくその場を離れなければならない時に、咄嗟にシャッターを切っている。そんな感じかな。

S:もうすでにデジタルではオールドレンズは経験済みでしょうが。どうしてあえてフィルムを?

M:そうだけど、ごく短期間に少し使ってみただけで手放してしまったから、ちゃんと出会っていなかった気がしてるんだ。それに、どうもデジタルカメラの経験はフィルムカメラを本格的に始めるための練習のような気もしているんだよ。フィルムの写真はPCの画面上で見ても、デジタルの写真とは決定的に違うものを感じるからね。今日、仕事帰りに中古カメラ店で状態のよいカールツァイスプラナーを安く買ったよ。モノクロフィルムも買って、早速試し撮りをしてる。現像タンクを物色してみたけど、ピンとくるものはなかったので、とりあえずはカメラ店に現像に出すつもり。まあ、いつまで続くやら。

S:おまえさんに刺激もらった感じで、眠ってたものが目覚める予感。ありがとう。

M:真冬日の今日、フィルムで雪景色を20枚ほど撮ったよ。直観したイメージをしばらくは見ることができない、それがカメラの中で、フィルムの中で眠っているというのも悪くないね。理想の記憶の彼方のイメージに少しだけ近づけるような気もしてさ。

S:カールツァイスのレンズはどうしてこうも空気感というか遠近感がでるのかな。被写体と周辺との関係性が見事で、ボケという曖昧さは問題外のよう。写真はレンズに尽きるといっても過言ではないな。

M:昨日、モノクロフィルム1本を現像に出そうとしたら、北海道にはモノクロ現像をやっている工場はもう存在しないそうで、埼玉にある工場に外注することになってさ、上がってくるのは10日後っていわれたよ。いやはや、、。フィルムにこだわるかぎり、やっぱり自家現像に挑戦したほうがよさそう。

S:条件なしに生きているってそれだけで尊いって思う今日この頃 だから 写真もそうで やってる人はそれだけでいいなぁと思う でもそうは言っても 矛盾するけど いざ自分のことになると 写真は 自信なく 右往左往 しどろもどろ これは一体どうしたものか さっぱりダメ つくづくやっかな奴

M:写真を撮ることは、昔誰かが言ったように、センチメンタルなことで、余計で、場合によっては醜悪な行為だと思うこともある。過ぎ去る時間に未練たらたら縋るみたいな。過ぎ去るにまかせればいいものを。でも、だから、最近は、昔みたく意気込んでがつがつ撮ることはなくなって、毎朝顔を洗ったり、歯を磨いたりするのと同じような、ごく日常的な習慣に近づいてきているような気がする。先日現像に出したフィルムが今日、予定よりずいぶん早く仕上がって戻ってきたんだけど、残念ながら、「光線カブリ」でほとんど全滅。とほほ。やっぱり、おんぼろコンタックスはオーバーホールしないとダメかな。フィルムカメラの道は険しい。

S:何とそれは残念だったね。ところで、使えないカメラといえば、俺は一台の動かないカメラを持っててさ、もう25年近く前、渓谷での滑落事故の時のもの。ニコンF3。何故か手放せないで今に至っているわけ。オーバーホールする気は端からない。このまま最後まで捨てないだろうな。特別な気持ちもないままで、本棚の隅で埃を被ってる。余分なものでも、消えない、消せないものがあるね。それを含めて自分。こんな余計なことを書いている自分。写真撮りにふつふつとした思いがたまに沸くとき、写真ってフシギだなと感じる。もっと言うとやっぱり人生はフシギだ。

M:不謹慎な物言いかもしれないけど、ニコンF3のイメージが形見か墓碑のように迫ってくるのを感じたよ。写真以上に写真的なエピソードだね。いい話をありがとう。

S:へえ、そんな見方があるとは、思いもよらなかった。笑ってしまった。形見、墓碑か。でも言いえて妙かも。そういう意味では遺骨だろうな。傍にいた友。そいつと今も暮らしてる。今は何でもなく、ただの動かないカメラ、、、、。確かに、担ぎ込まれたICUでは妻には三日が山だと告げられたと後に聞かされたんだからね。肋骨骨折、気胸、腹腔内出血、腰椎2-5骨折、前頭部列創なんて傷病名が診断書に記載されてた。これはもう死亡届けって感じ。でも、こうして生きてる、んだ。フシギだよ。あいつは逝ったのに。

M:そうだったのか。遺骨ね、、。どんなカメラでも撮れないイメージを背負って生きてるって気がしたよ。

S:別にもう背負うものはないよ(笑)