公園


ニワウルシ(庭漆, Tree of Heaven, Ailanthus altissima)、別名シンジュ(神樹)。


(追記)

このエントリーの題名は当初「落穂」だった。残雪のうえに「落ちた庭漆の翼果が密集して付いた小枝」を表す語があるはずだと思い込んで、手元の国語辞典で「落穂」の第二義にあげられている「落ち葉や落ちた小枝」(用例は松尾芭蕉)に性急に飛びついてしまった。「落穂」と言えば、誰しも先ずは第一義の「刈り取ったあとに落ち散った稲の穂」を思い浮かべるに違いない。私自身、違和感を覚えつつも、被写体を説明してくれる語に「落穂」を選んでしまった。すると、案の定、ストラスブール在住の言語学者、小島剛一さんから次のように鋭く指摘するメールが届いた。

「落穂」は、現代語では、「収穫の後に落ち残っている稲などの穂」を指します。薄の穂が落ちていても「落穂」とは呼びません。

「落穂」を〈「落ち葉や落ちた小枝」の意味で松尾芭蕉が用いた例https://www.weblio.jp/content/%E8%90%BD%E3%81%A1%E7%A9%82〉が『Weblio辞書』に出ていますが、誰でもする用法ではありません。現代語では誤用と見做すべきものだと思います。

芭蕉の見た「落穂」がもしも本当に「松葉や他の樹木の落ち葉や落ちた小枝」のことだったとしたら、〈芭蕉が誤用したのだ〉という仮説が可能です。

〈収穫した稲穂の運搬中に小道に落ちた一本が偶々松毬の傍にあったのを芭蕉が見た〉ということもあり得ます。

一方、〈芭蕉が「落ち葉」という言葉を知らなかった〉とは考えられません。

もしも原文がひらがな書きであれば、〈「おちば」または「おちは」を「おちぼ」または「おちほ」と書き誤った〉のではないかとも考えられます。

そもそも『奥の細道』の「落穂松笠など打けぶりたる草の庵閑に住なし」という記述からどうやって「落穂 = 落ち葉や落ちた小枝」という語義を推定することが可能なのか、私には理解できません。

日本語辞書の制作者には、やたらな似非語源説を弄する輩が多いので、信用できません。

なるほど、と思った。根拠薄弱というより根拠捏造といっても過言ではない語源説に依拠した語義は眉唾物であるという教訓を改めて肝に命じた次第である。