大雪

札幌、大雪。Casual Marine Boots(昨日の写真参照)を履いて、深い雪を漕いで散歩する。ルンルンして、いつもの二倍の0.61ミサキ(61枚)も写真を撮った。雪は降り続いている。除雪は体に応えるが、気分は素晴らしい。「文明」が埋もれ、「文化」が浮上する。「文化」がないと、「文明」とともに人は埋もれてゆく。(大袈裟な。)帰宅後、朝飯を食べ、一休みする。まだ雪は降り続いているが、空が少し明るくなってきた。これから本格的な雪かきをする。


降雪の激しさを物語る電線に積もった雪。

大好きな白樺たち。

原生林とナナカマド並木に挟まれた散歩往路。

雪に埋もれた藻岩神社。

ンポポ公園のエゾノコリンゴの樹で囀るヒヨドリ(鵯、Brown-eared Bulbul, Hypsipetes amaurotis)。

散歩復路の歩道。

サフラン公園入口の「マトリョーシカ」。

トウモロコシ畑。

雪かきするMさんとIさん。

部屋の窓からの景色。

路地階段、アカナラ

久しぶりに「路地階段」を通ってCOOPまで買い物に行って来た。

階段の上に立つと眺望がひらけて、藻岩山の豊かな裾野、先端の通称「軍艦岬」まで見晴らすことができる。

階段には電気式のヒーティングが施されている。往きは七人、帰りは二人と擦れ違う。年配の人が多かった。この階段がなければ、滑りやすくて危険な、しかも遠回りになる坂道を通らなくてはならない。この階段を含めた路地的ルートが「生命線」になっている特に年配の人は少なくないようだ。

帰路、どんぐり公園の通称ドングリの木、多分アカナラNorthern Red Oak, Quercus rubra Linn.)の美しい枝振りに見とれた。

日記の整理という仕事

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「日記の整理」、「日記の仕事」という言葉に今更ながら驚いていた。ジョナス・メカス著『どこにもないところからの手紙』(村田郁夫訳、書肆山田、2005年)asin:4879956546の「第十の手紙 1995年1月」の中にこうある。

 毎年一月になると、わが家はささやかな荷物をまとめ、ニューヨークを離れ、カナダに近いヴァーモント州に出かける。そこは寒く、雪がたくさんある。私たちはスケートに出かける。山はもう好きじゃない。首の骨を折るかもしれない。もっとも平地なら私でも悪魔のようにヒラリ、ヒラリと舞うことができる。十三歳になったばかりのセバスチャンも平地なら舞える。

 けれども私たちが着いたのは、凍てついた草ばかりで、雪がまったくないところだった。でも奇蹟が起きて、雪が降るだろうと期待し、二日間滞在した。幸いタイプライターを持ってきたので日記の整理------戦時中と戦後の日記の仕事にとりかかった。いつの日か、誰か奇特な人がいて、出版してくれるかもしれない。

ヴァーモント州ではなかったが、365日映画の12月10日(344日目)に、一家でメイン州ドルバックにスキーに出かけたときの映像を思い出す。そのときもホテルの部屋のデスクの上にはタイプライターがあった。

日記の整理は、記憶の整理であり、人生のデータベースの終りのない構築作業みたいなものだと言えるだろうか。私も拙い日記の整理の仕事が溜まりに溜まっている。日記の整理は大事な重要な仕事であることを再認識した。