言語哲学入門

受講生の皆さん,こんにちは。

今回は「マルセル・デュシャン杉本博司」の説明に予想外に時間がかかり、(1)『論考』の「出口」案内が駆け足になり、(2)ベンヤミンの「交差点」案内ができませんでした。次回たっぷり時間をとって解説しますが、皆さんに是非理解してもらいたいと思っていることのポイントを簡単に書いておきます。

(1)まず、『論考』の「出口」とは、私たちにとっては人生の入口だということです。入口なんですが、人によってはそこまで到達するのが非常に困難でもある入口です。そして多くの人にとっては、そこは人生の闇、地獄にもなりうるような場所です。というのも、私たちは普通社会の中で色々な問題を抱えながら生きていますが、時には問題の解決を急ぐあまり、悲惨な結末を迎えてしまうことさえあるからです。物心ついたとき、気がついた時には、私たちの多くはある程度安定した「自己イメージ」を獲得しています。言い換えれば、それなりの社会的な居場所を得て生きています。そして何か事が起こった時に、孤独感に苛(さいな)まれたり、生きる意味を喪失したりして、場合によっては社会的な居場所を失ったり、自己イメージの動揺さらには崩壊の危機を迎えます。私たちはいつそのような転落の道を辿るか知れません。

他方、ヴィトゲンシュタインはそんな私たちとはちょうど正反対の方向で人生を歩んだ人です。私たちがそれぞれの社会生活の途上で何らかの壁にぶつかってから初めて考えることを、そして多くの場合まともに考えることさえできずに人生を放棄してしまいかねないような諸問題を、ヴィトゲンシュタインは言わば人生の最初から考え続けたのです。その成果の一部が『論考』です。私たちが『論考』から学ぶことができることは、一言で言ってしまえば、どんなことがあろうとも、「生きる意味=価値」を見失わずに、しかも「幸福に生きる」ことができる「私」に到達する思考です。それは『論考』の出口であると当時に人生の「入口」です。それを学ぶことができれば、デュシャンが「解決などありはしない、問題がないのだから」と語ったように、人生において問題とされることの多くが実は問題ではない、重要ではないことを知り、人生という時間を無駄にしない使い方、生き方ができるようになるはずです。

次回はその点をさらに敷衍(ふえん)します。また、記号論理学(命題論理と述語論理)に関してはいずれ解説の時間を設けますが、とりあえずメインサイトの「ヴィトゲンシュタイン哲学地図」を参考にしてください。

(2)ベンヤミンに関しては配付した資料のうち、「サン・ジミニャーノ」の全文を、特に最初のパラグラフを熟読しておいてください。ベンヤミンヴィトゲンシュタインとは対照的に現実世界と言語表現との間の関係を極めて具体的に思考しています。両者ともに「像(ビルト)」という語を使いますが、その意味はかなり違います。次回はその点を含め、「言語一般および人間の言語について」も参照しながら、ヴィトゲンシュタインベンヤミンを比較検討します。さしずめ、論理的思考と詩的思考の比較検討です。

尚、次回も資料「『論理哲学論考』解説」と「ベンヤミン・コレクション」を持参してください。