言語哲学入門

受講生の皆さん、今晩は。
先週札幌でも公開された『大停電の夜に』を観た人はいますか。実は私は公開初日に観ました。良かったです。映画は冒頭からいきなりビル・エヴァンスの有名なアルバム『Waltz for Debby』の1曲目「My Foolish Heart」が美しく響き始め、これは一体どなることやら、とちょっとある意味で心配しながら観たのですが、中身については、これから観るだろう人のために、語りませんが、とてもよいセンスの距離感で人間と人間関係を巧みに描いた佳作です。言語哲学入門の授業に何の関係があるのかと思っている学生さんもいるかもしれませんね。

実は、ビル・エヴァンスというジャズ・ピアニストの音楽と人生の関係は、驚くほどヴィトゲンシュタインの哲学と人生の関係に共通しているところがあるのです。ビル・エヴァンスの「My Foolish Heart」という曲の最も深いモチーフをさらに展開したアルバムに『Alone(again)』があります。それはジャズという音楽の歴史における『論理哲学論考』であるというのが私の確信です。『Alone(again)』と『論理哲学論考』はその最も深いモチーフにおいて共鳴している。

『論考』の扉には「わが友デイヴィッド・H・ピンセントの思い出に捧げる」とあることに気づいたでしょうか。岩波文庫版の訳注では、「ピンセントの死と『論理哲学論考』の完成は時期的にほぼ重なっている」とだけ書かれています。深く信頼し愛していた唯一の友への「思い」、その語りえない思い、いくつかの意味で「語りえない」思い、こそが『論考』という哲学書をたんなる研究書ではなく、人生の深い真実に触れた作品にもしているのだと私は考えています。

ビル・エヴァンスにはスコット・ラファロという親友であり天才的なベーシストでもあった音楽上のパートナーがいました。映画で使われた「My Foolish Heart」(1961)はラファロが交通事故で死ぬ直前にライブ録音されたものです。それはジャズ史上奇跡的と言っても過言ではないピアノとベース(とドラムス)のインタープレイでした。これを超える演奏はありえないといってもいいほどのものです。エヴァンスにとってラファロはこれ以上望むべくもないベーシストでした。ラファロの突然の死後、エヴァンスはピアノ、ベース、ドラムのいわゆるトリオの演奏をしばらくできなくなります。そしてピアノのソロだけの演奏に没頭した時期があります。そんな時期に信じられないくらいの集中度で演奏された5曲(演奏時間が13分に及ぶ曲もある)からなる尋常ではないアルバム『Alone(again)』(1975)が出ました。それは「孤独」の極限を突き抜けたところに垣間見える世界の幸福な断片を描いたものだと言えます。「Make Someone Happy」、「What Kind of Fool Am I」、「People」等、意味深いタイトルの曲が人生の新たな「入口」を示唆しています。

そういうわけもあって、ビル・エヴァンスについてざっと書きましたが、これは「Jazzの歴史」の授業ではありませんし、この辺で止めます。

明日は以上のような「入口」をも持つ『論考』のテキストに齧りつく予定です。先ずは「序文」の中の気になる箇所、本文1-2.063、そして時間があれば、ノーマン・マルコムによる伝記『ウィトゲンシュタイン』の中の「講義」(p.12)と「日課」(p.65)に書かれている言葉と人間関係に関する非常に興味深い記述を掘り下げることができればと思っています。