言語哲学入門

受講生の皆さん、今晩は。

明日は最終回、いよいよ「生をめぐる思考」の道筋を辿りながら、『論理哲学論考』の最後の出口を確認します。粗筋としては、まず本来の意味での「言語哲学」は、言語を一対象とみなすものではなく、その全体性と本質において「生」および「世界」と切り離せないものとみなすことから、必然的に「生の思想」に繋がることを見ます。「生の思想」とは生の意味、世界の意味を問うものですが、そのような意味は生と世界の限界の彼方、その「外部」すなわち「語りえない、思考しえない何物か」として、ある特別な仕方でだけ考えられるものであることを確認します。ヴィトゲンシュタインによれば、そのような「外部」こそが厳密な意味での「神」であり、いわゆる「祈り」とは「神」を「考える」ことだとされます。こうして、生と世界の内側では「およそ語られうることは明晰に語られうる」、そしてその外部すなわち「神」については「人は沈黙しなければならない」という結論に至ります。明日はこのような思考の過程を解説し、<私たちの問題>として敷衍します。

ただし、以上はあくまで『論考』の出口であり、それはさらなる思考の集成である『哲学探究』への入口にほかなりません。後者では生と世界の内側を織りなす言語の複雑なありのままの姿を前者とは対照的な方法で描き出すことになります。それについては授業の中で予備的な解説をする予定です。