がんばる植物たち:廃墟感の裏側

すでに書いたように、廃墟感の裏には自然力感、生命力感にたいする人間の無力感、無常観が控えている。人工物が湛える虚しさはそこに由来する。

私が「日常の小さな廃墟」と名付けたスポット、ゾーン、ごくささやかな時空は、裏返して言うなら、驚くべき自然力、生命力が感受される時空であると正確に敷衍できる。また、そういう力を感受する能力がまだ完全には失われていないことに驚くことから、抽象的ではない、極めて具体的かつ日常的でもある思考と実践への道が拓けるのではないかと考えている。

今朝の風太郎との散歩で吸い込まれたゾーン。アスファルトやコンクリートに根を下ろした植物たちが今シーズンの生命の舞台を終えようとする時の諸々の形。白樺はまた上部が切断された無惨な姿でしたが。