日本語を全く解さないアメリカの知り合いが、このブログをGoogleの自動翻訳にかけて読んでいることを知った。そうか、そうだよな、と思った私は前エントリーをそれにかけてみた。その結果はこう。
かなりひどいが、分からなくはない。固有名の「藻岩山」が"the alga rocky mountain"と「訳され」ていたのには笑った。「間違ってない」。理想的な"Mt. Moiwa"が出て来るには、翻訳システムの「日英辞書」の固有名のカテゴリーに「藻岩山=Mt.Moiwa」が登録されていなければならない。実際には固有名の登録には限界があるので、登録がない固有名はこのように漢字単位の「意味」の対応で置き換えられるしかない。
以前にも書いたように、このような例から、自動翻訳は「使い物にならない」と断罪するのは間違っている。そうではなく、それほど「翻訳」は難しいということを再認識するための貴重なきっかけだと考えるべきだ。「翻訳」は一筋縄ではいかない。そもそも「藻岩山=Mt.Moiwa」だって、正しい翻訳と言えるだろうか。知人にとって、"Mt.Moiwa"では"Moiwa"は意味不明であり、何のイメージも浮かばないはずだ。その点では、むしろ"the alga rocky"の方が実際とはかけ離れているとしても、藻に覆われた岩のイメージは浮かぶ。そして「藻岩山」という漢字を見た瞬間にそのイメージは私の中でも半ば無意識に浮かぶ。つまりイメージは共有される。その意味では"the alga rocky mountain"の方が意思疎通には役立つ面があると言えるかもしれない。
もうひとつ笑ったのは、プロフィールの「風太郎(Fu-tarou)」が"Kaze-tarou"になっていたことだった。さもありなん。
日本語の書き言葉の場合、何が固有名かの判断は非常に難しい。それに、固有名は音声イメージの比重が大きいので、漢字がもつ複数の音を考慮した日英辞書を作ることは本当に大変だ。