廃墟感と路地感


これは、きのう車で通勤中に撮った近所の建物に遺された古い名前「川沿ストアー」。近所に大型スーパーが建つ以前は、この建物全体が川沿ストアーとして買い物客で賑わったのか。現在この建物に入っているお店も学習塾からスナックまでバラバラで、下町っぽくて思わず微笑んでしまう。

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朝の散歩コースにはいくつかの目に見えない結界、境界がある。その最初の境界はこんなミラーの立つ見通しの悪い辻(十字路)で、藻岩山が左右逆に歪んで写っていた。散歩コースは先ず北へ1kmくらい行き、そして東へ500mくらい行き、そして南へ1km戻り、最後に西に500mくらい戻る、という、途中短いジグザグはあるが、全体的にはほぼ長方形の辺を辿る。その東へ500mほど行く道で、以前からある家の古風な縦長の木製の表札がなぜか気になっていた。ご夫婦の名が併記してあるのだが、名が「国男」と「民子」とあり、横には「国民」と「男子」と読める。姓は原爆が投下された九州の地名。国民国家の記憶が凝縮されたような表札だと感じたのだろうか。

南へ折り返してすぐ、タンポポ公園がある。今朝もエゾノコリンゴにゲストの姿は見えないな、と思って近寄ってみると枝が複雑に交差し、しかも逆光の中で、見たことのある気がした三羽の小鳥が目立たないようにするためか、お互いに距離をとって静かに佇んでいた。その内の一羽を撮ることができた。サイズはスズメよりちょっと大きくて、太くて短い嘴、黒い頭上と翼と尾が特徴的だ。前に見たウソかなと思った。帰宅後すぐに昨日ビデオ解説した要領で『フィールドガイド日本の野鳥』で検索したら、ウソの亜種アカウソBullfinchのメス(female)と同定できた。オスは喉のあたりが赤いらしい。オスもいたはずだが撮れなかった。2月28日に出会った小鳥もウソはウソでもアカウソのしかもメスに違いなかった。

昨日寄り道をしていくつかの発見があった小路に今日も入った(東に向かった)。「電線ツララ」は健在だった。そしてその小路の途中で一本のさらに細い道がなぜか気になった。その道から少年が出て来た。この道、通り抜けられる?はい、突き当たりに階段があります。階段?もしや、と思って、私は風太郎を引っ張ってその細い道に入った(北に向かった)。

あった。素晴らしい。路地的空間だ。

もちろん、降りてみた。

すると、寺があった。素晴らしすぎる。

ある時期まではここが大きな境界だったのだ。昔は「上」には人は住んでいなかった。上に人が住むようになって、坂道の車道が何本も上と下を繋ぐようになったが、車は通れない、人だけが通れる道、階段はここにしかなさそうだ。この土地に住み始めてから11年目にして、私はようやく「路地的なるもの」の痕跡を発見したのだった。

階段を上って、細い道を戻り、本来の散歩コースへ戻ろうとしたが、何かを感じてそのまままっすぐ南に向かった。すると小学生への読みがな付きの手書きのメッセージ・ボードが目に留まった。

確かに、雪国にあるまじき設計だった。

そして太い通りに出る直前に、なんと"ATELIER"(???)があった!



アトリエ?私の中では走馬灯のようにアートに関する沢山のイメージが駆け巡った。玄関の天井から初めて見るデザインの紙製の提灯もガラス越しに見えた。まだ人が住んでいるのかいないのか非常に微妙な雰囲気であった。

太い通りに出ると空気は一変した。正面には真っ白な公園が広がり、子どもたちの歓声が聞こえた。眩しい。よく見かける近所の保育園児たちだった。カラフルな可愛らしいのが沢山いた。