ピナ・バウシュ:「鬼」を飼う女


先月、京都賞を受賞したピナ・バウシュPina Bausch, 1940-)が朝日新聞の夕刊で大きく取り上げられていた。インタビューをまとめた記事(文・安倍美香子、写真・山崎虎之助)の最後に彼女の次のような言葉があった。ハッとさせられた。

私とダンサーたちは、日が変わるたびにまっさらな自分になって、自身と世界を発見する旅に出ます。テーマは、生のための言語を見つけること。これからも恐怖、苦しみ、そして美を表現していきたい。

この短い言葉に、彼女が創始した「舞踏演劇」(Tanztheater)の深い思想が凝縮されていると感じた。平易な言葉遣いで言いたいことがストレートに伝わってくるようにも思われるが、ちょっと立ち止まって考え始めると、例えば、「私」、「まっさらな自分」、そして「自身」が慎重に使い分けられていることが分かるし、なにより「生のための言語」という俄には理解し難い思想の要約ともいうべき表現に戸惑う。さらに、なぜ「恐怖、苦しみ」と「美」が併置されているのか、そこにもそれこそ思索の旅をしなければ、見えて来ない経験の地平が隠れていることに気づく。

彼女の舞踏演劇を実際に見たことはないし、彼女に会ったこともない。だが、今まで多くの写真を通して舞台の空気や彼女自身の非常に静謐な佇まいに惹かれ続けてきた。何だろう?その一見穏やかで深く静かな表情の下に、途轍もなく激しく、熱く、渦巻くような「狂気」が感じられるからだろうか。mmpoloさんが紹介していた(http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20071127)馬場あき子の「鬼」をちょっと連想する。ただし、いくつになっても衰えない「鬼」を飼う女。

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