穴巡りの消息2:第二の穴、壁に刻まれた文字「M,I,O,K,Y」

自分が住む地質学的にはほとんど石の伽藍のような土地の記憶を断続的に探っては記録してきた。


「第一の穴」

昨年の秋に土地の記憶の古層が少し見えてきたと思った大きなきっかけになった「穴」のある景観(landscape)はすっかり心の景観(mindscape)になっている。

ふと思い立って、雨の中、札幌軟石採掘現場跡を久しぶりに訪ねた。そろそろこの「穴」に挨拶しておこうと思ったらしい。すると、なんと今まで気づかなかった第二の穴が待っていた。


「第二の穴」

「第二の穴」に近づく

「第二の穴」の真下

「第二の穴」の入口から内部を見る

「第二の穴」の天井

「第二の穴」の中から見える外の景色

もう少し遅ければ、樹々の生い茂った葉に隠れてしまっていた。昨年何度か訪ねたときには全く見えなかった。早速近づいてみた。まだ下草も生えていない若葉が出始めたばかりの林の中を通って、穴のすぐ下に出た。四、五メートルの斜面を途中に生えている木に手をかけ、足をかけながらよじ登った。その第二の穴は、第一の穴よりも一回り大きかった。下部には軟石を掘り出した幾何学的な跡が残り、上部特に天井部分は少しずつ自然に崩落した跡が見られた。穴の地面にはまるで砂時計の砂のように上から降り落ちた軟石の粉末のような白っぽい土砂が山をなしていた。





その穴の周囲は軟石が直方体状に切り出された跡が部分的に残る数十メートルの絶壁に囲まれている。自然に風化したのか波打つように削られて、まるで石のカーテンのように見える壁もある。規則的に採石された跡が残る面を見ていたら、かなり上の方に何か文字らしきものが見えた。なんとアルファベット大文字で「MIOKY」と彫られているではないか。一体誰が?高さからみて、特別な足場でも組まなければ、彫れるよう場所ではない。私のような偶然そこに入り込んだ素人では無理だろう。周囲には石を切り出したときに付いたと思われる規則的な曲線なども見られた。採石に携わった職人の仕業だろうか。しばらく眺めていて、たんに「MIOKY」ではなく、「M,I,O,K,Y」とカンマが間に彫られていることに気づいた。ピリオドのつもりだったのかもしれない。英単語ではなく、何かの頭文字のようだ。一体何を意味するのか。

思わず、あの「古代ローマトラヤヌス帝の戦勝記念塔の碑文」の書体、原ローマン体で「ELMIKAMINO」と彫ってみたい衝動にかられた。