板塀と「ベルリンの壁」

散歩していると、こんな古い板塀に巡り会えたりするから嬉しい。昭和30年代のまだ可愛かった(「赤毛のマーちゃん」と呼ばれていた)子供の頃のいろんなシーンが思い出される。母が幼い私をつれてよく帰った実家はこんな板塀に囲まれていた。

こんな八百屋さんにも巡り会える。

しかし、しょっちゅう行き止まりにもぶつかる。袋小路もある。人生のようだ。嫌いではないが、正直なところ、もぉー、なんで行き止まりなんだよ! と声を上げそうになることもある。土地利用のいろんな都合のせいである。

私の住む町、札幌の南に位置する豊平川の上流域は、何度か書いたように、石でできた土地にある。石山という町名もある。ただし、「石山」はかつては「穴の沢」だったことを昨年突き止めた。それを知る人は少ない。石山の石は軟石のために自然の作用で、昔はあちらこちらにぽこぽこ穴が空いていたのだろうと想像する。近代以降は100年にわたって軟石が採掘され続けたり、幹線道路が開通したり、宅地造成されたりして、おそらく昔は一続きの「軟石山」だったはずの山は複数に分断され、今ではそれぞれが別の公園の一部になっている。昔の面影を想像する物好きは少ない。

一方、豊平川をはさんで反対側には硬い石の土地が広がっている。そこに聳える硬石山(かたいしやま)では現在も採石が続いている。複数の採石場、砕石場がある。山は削られて削られて見事に無惨な姿を晒している。そんな硬石山の裾野にひろがる住宅街を歩いていると、当然のことながら、山へ向かう道は採石会社のフェンスや崖や鬱蒼とした森ですべて行き止まりである。そんななか、高さ5メートル以上はある威圧的な仕切り、「壁」に巡り会った。おおー、何だこれは? 一瞬、ベルリンの壁まで連想してしまったではないか。しばらく呆然と眺めた。

こんな心を寒くするような仕切りを作らなければならない土地利用の仕方はどこかでボタンを掛け違えたとしか思えない。この「壁」の前に立って花咲か爺の笑顔を撮影する「イメージ戦略」をすっかり忘れた。ちなみに、花咲か爺による「イメージ戦略」とは、好ましくないと感じられた現実を好ましい方向へズラすための気長でささやかな粋な戦略である。