蝦夷の小林檎吹雪

札幌、曇り。雨雲は西の方に遠ざかり、風も落ち着いた。でも、まだ大気は不安定な感じ。気圧も低い。


町内のあちらこちらでは、たぶんレンゲツツジ(蓮華躑躅, Japanese azalea, Rhododendron molle subsp. japonicum)がほぼ満開である。

リス、テントウムシクワガタムシ、スズメ(ハト?)。

ライオン、ゾウ、カバ、ラクダ。桜吹雪ならぬ「蝦夷の小林檎吹雪」に見舞われたたんぽぽ公園の「動物」たちをクローズアップしてみた。いつもながら、何を話し合ってるのか、ちょっと気になったりする配置である。

南の空。

北の空。

トウキビたちは順調に生長している。

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毎朝見慣れたはずの町内のほぼ同じ道を歩きながら、あきもせず、実は定点観測という明確な意識もないまま、ほとんど本能的にカメラのシャッターを押し続けている。最近はだいたい0.3ミサキから0.6ミサキの間の枚数である。(1ミサキは100枚。「ミサキ」とは毎日最低100枚は写真記録する美崎薫さんにちなんで作られた単位。業界用語。何業界と言えばいいのかはよく分からない。)

小一時間でそれくらいだから、1、2分に1枚くらいのペースである。多いのか少ないのか分からない。そして、その日によるが、大分時間が経ってから、撮れた写真を眺めて、その時の感覚を思い出しながら、連想したことや調べたことを記録するということをやり始めて2年くらいになるだろうか。すっと言葉に出来る日と、なかなか出来ない日とがある。

自分で撮った写真の「意味」がなかなかつかめないこともある。俺、何で、こんな写真、撮ったんだろう? もちろん写真は言葉で表すことのできる意味なんて超えたものだということは承知の上でのことである。別にノルマとしてやっているわけではないので、無理に言葉を併記する必要もないのだが、その瞬間その瞬間に自分が何かに反応してシャッターを押して得られた画像からは、その「何か」の理由、意味を取り出せるはずだという考えもあって、ついつい写真と向き合う時間が長くなってしまったりする。こんなことをしている場合じゃない、とか思いながら。